不屈のアルペンスキーヤー湯浅直樹が、海外合宿を終えて、10月28日に帰国した。

湯浅は、平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)後にヒザの手術に踏み切った。年齢的にも肉体的にも彼をサポートする企業はなかったが、東京・立川市の株式会社ヤマヲが名乗りを上げた。同社は大手コンビニを中心にパスタや総菜を卸す食品メーカー。同社の岡部直士社長は「1枚の写真がきっかけでした」と振り返る。

岡部社長は、東京都スキー連盟会長も務める。5年前、スキーツアーでニュージーランドに出かけた。型にはまったツアーでは満足できず、現地でガイドを雇い、仲間4人とで別のスキー場に繰り出した。休憩で訪れたレストランで湯浅と偶然に出会い、記念の写真を撮った。「とてもさわやかな印象でした」と岡部社長、当の湯浅は「全く覚えていないんです(笑い)」。

2人の運命的な再会へと導いたのが、湯浅と親交のあった日本スキー連盟の大瀧詞久コーチ(当時)だった。大瀧コーチは東京都スキー連盟の臨時コーチも務めたことから湯浅のスポンサー探しに尽力したのだった。

湯浅へのサポートが2年目に入った株式会社ヤマヲ。岡部社長は「日本には湯浅君以上のアルペン選手はいない」と完全復活を願う。「感謝の言葉しか見つかりません」という湯浅は8日、北京冬季五輪に向けてスウェーデン合宿に出発した。