歴史的な一戦の裏側に迫る「G1ヒストリア」。第9回はテイエムプリキュアが、無傷の3連勝でG1初制覇を飾った05年の阪神JFを取り上げる。09年エリザベス女王杯では勝ったクィーンスプマンテとともに大胆な先行策に出て、12番人気2着の個性派が、2歳時に能力の高さを示した一戦。管理した五十嵐忠男調教師(70)は、G1トレーナーの称号をもたらしてくれた愛馬との思い出を振り返った。

05年、阪神JFを制したテイエムプリキュア
05年、阪神JFを制したテイエムプリキュア

我を忘れるほど喜んだ。雨が降っていた05年暮れの阪神競馬場。「直線の残り100メートルくらいから何にも覚えてないんだよ。多分、どんちゃん騒ぎだったと思うけど…」。現役終盤の大逃げからは考えられない末脚一閃(いっせん)でのG1初制覇。五十嵐師は自室に飾るテイエムプリキュアの写真を眺めながら、かつての興奮を振り返った。

勝つなんて思ってもいなかった。無傷2連勝でG1に駒を進めたが、「正直、着あればって思っていたくらい」。師さえ驚く結末に、レース後の口取りも異様な光景だった。「勝つと思ってないから全然人が集まらなくて。急きょ牧場の人が知り合いの馬主さんを呼んで撮影したくらい。だから、オーナーも僕も知らない人が写真にいるんだよ。珍しいでしょ?」。そんな1勝が、開業12年目の厩舎にとってうれしい重賞初制覇だった。

 
 

超がつくほどの個性派。気に入らないことがあったら、レースでも調教でもすぐにやめる。隣の馬が暴れても知らぬ顔をするくらい肝が据わっていた。

「牝馬らしさがまるでなかった。カイバはバリバリ食べるし、自分からしんどいことをしたくないからデビューから引退までずっとズブさがあった。自分のことを女王様だって思っていたんじゃないかな」

気性難ゆえ阪神JF制覇後は24連敗を喫したが、大逃げに活路を見いだし、09年日経新春杯で復活V。同年エリザベス女王杯は12番人気ながら2着と波乱を演出し、多くのファンの記憶に残る存在となった。

現役引退後は、生まれ故郷である北海道・タニグチ牧場で繁殖入り。今まで産駒9頭中、デビューした8頭すべてが五十嵐厩舎で初陣を迎えたが、JRAでは未勝利となっている。「プリキュアの子で勝ちたかった。手は掛かったけど、思い入れのある馬だからね。僕が引退した後も応援したい」。来年2月末で定年を迎える師の夢。それは、プリキュアの子の初勝利を見届けることだ。【藤本真育】

05年、阪神JFを制したテイエムプリキュアと五十嵐師(中央)、鞍上は熊沢騎手
05年、阪神JFを制したテイエムプリキュアと五十嵐師(中央)、鞍上は熊沢騎手

◆テイエムプリキュア 2003年4月8日、タニグチ牧場(北海道新冠町)生まれ。父パラダイスクリーク、母フェリアード(母父ステートリードン)。馬主は竹園正継氏。栗東・五十嵐忠男厩舎所属。通算37戦4勝(地方1戦0勝)。G1勝ちは05年阪神JFで、同年のJRA賞最優秀2歳牝馬に選出された。総獲得賞金は2億474万1000円。