歴史的な一戦の裏側に迫る「G1ヒストリア」。フェブラリーSは18年優勝馬ノンコノユメを取り上げる。

3歳時にジャパンダートダービーを制した素質馬は、去勢の影響で一時は成績が低迷。それでも管理する加藤征弘師(57)の思いは決してブレなかった。厩舎に初の中央G1タイトルをもたらした舞台裏に迫った。

18年、フェブラリーSを制したノンコノユメ
18年、フェブラリーSを制したノンコノユメ

1度は諦めた。最後の直線、ノンコノユメは大外から強襲。しかし、内からゴールドドリームが盛り返した。相手は前年王者で世界の名手R・ムーアが鞍上。「また2着だよ」。加藤征師は隣で見ていた牧浦師にぼやき、視線を落とした。「いや、これ抜きますよ」。牧浦師の声に視線を戻すと、待望の瞬間が訪れた。

中央G1初制覇。厩舎に飾られた当時の写真をうれしそうに見ながら、振り返った。「G1には何回挑戦しても2着だったからね」。45度目の挑戦で手にした栄冠はたまらなかった。「何よりこいつが復活してくれたのがね…」。試行錯誤の日々を思い出した。

苦労がかかる馬だった。3歳時にチャンピオンズC2着、翌年フェブラリーS2着など将来が期待される素質馬だった。しかしその分、気性が荒かった。「(4歳時の)帝王賞はゲートで直立不動に。その前には暴れちゃって、鞍を置けないこともあった。(元調教師の)石坂正さんに『お前、そのうち死ぬぞ』なんて言われてね」。このままでは使いたいレースに使えなくなる。16年夏、苦渋の決断で去勢した。

加藤征弘調教師(22年12月28日撮影)
加藤征弘調教師(22年12月28日撮影)

せん馬になった影響は大きかった。「あれだけうるさかった馬が、おとなしくなってしまって…」。4着以下に敗れる日々が続くことに。それでも師は、ブレずにG1に挑戦し続けた。長年の経験から、確信があったからだ。「馬には約2年のバイオリズムがある。結果が出なくても、ローテを替えたりしなければ馬は復活してくるんです」。耐えに、耐えた。無駄なレースは一切選ばず、以前と変わらないローテを選択した。すると以前のような気性が戻った。そして苦労が実を結んだ。

開業22年目。師には次の目標がある。「芝G1を取りたいです。毎年30勝ぐらい勝たせてもらってるけど、そこには届かないね…。でも、人生何が起こるかわからないから」。ノンコノユメのおかげで、諦めない大切さを再認識した。だからこそ、師はユメを追い続ける。【阿部泰斉】

第35回フェブラリーS成績
第35回フェブラリーS成績

◆ノンコノユメ 2012年3月28日、社台ファーム(北海道千歳市)生産。父トワイニング、母ノンコ(母父アグネスタキオン)。せん、栃栗毛。馬主は山田和正氏→吉田千津氏→山田広太郎氏。14年に美浦・加藤征厩舎でデビューし、中央在籍時に15年ジャパンダートダービー、18年フェブラリーSでG1・2勝(Jpn1含む)を挙げた。19年に南関東の大井・荒山厩舎へ移籍。以降も19年東京大賞典2着、21年帝王賞2着など息の長い活躍を見せた。22年7月に引退。通算46戦9勝(うち中央20戦7勝、海外1戦0勝)。総収得賞金5億7691万1000円(うち中央3億5161万1000円)。