昨年秋に再び故郷岡山を走る機会に恵まれた。前回が備前の瀬戸内の海沿いだったので、今回は岡山県央の山の中。備中松山城の城下町・高梁(たかはし)からベンガラ色の赤い町並みの「吹屋ふるさと村」を目指した。


今回のコース
今回のコース

今回もブルベの主催団体「オダックスジャパン岡山」が一昨年11月に開催した「BRM1115 吹屋ふるさと村」のルートを参考にした。ただし、このコースをそのままトレースすると200キロになってしまうので、起点は吉備中央町にある「道の駅かよう」とした。


昨年の10月下旬の早朝、岡山駅周辺のホテルから車で岡山自動車道で北へ向かい、賀陽ICから道の駅へ向かう。自転車を車からおろして準備し、出発は午前8時ごろとなった。


「道の駅かよう」を午前8時ごろ出発
「道の駅かよう」を午前8時ごろ出発

吹屋ふるさと村までは26キロ
吹屋ふるさと村までは26キロ

国道484号を西へと進路をとりまずは高梁を目指す。途中で標高430メートルにある「山城」の備中松山城の展望ポイントへの分岐があり、距離は4キロとあった。スタート直後の今、上るにはちょっと長いかな、帰りに余裕があれば上ってみようと思いスルーしたが、あとで大いに悔やむことになった。


多少のアップダウンをこなした後、道は一気に下り始める。おいおい、もう下りはいいよ。帰りのゴール直前にこんなに上るのはイヤだよ。ところが気持ちのいい下りはそのまま続き、ループ橋まで来てしまった。眼下には高梁の町。結局、高梁川にぶつかるまで下りは約6キロ続いた。


ループ橋
ループ橋

ループ橋の途中の大久保峠から高梁市を臨む
ループ橋の途中の大久保峠から高梁市を臨む

ループ橋から眺める高梁の町は霧の中。しまった。ということは、備中松山城の展望ポイントに上っていれば雲海に包まれた幻想的な「天空の城」が拝めたかもしれない。あ~、早くもリベンジネタができてしまった。あとで調べると「10、11月」が絶好のタイミングだったようだ。


ループ橋を下った後は高梁川とJR伯備線の間を走る県道313号を北上する。川沿いは白壁が続き城下町の雰囲気たっぷりだ。途中で県道を外れ、石火矢町ふるさと村へ。細い路地の両側には今も武家屋敷が250メートルに渡って立ち並んでいる。


右が高梁川。川沿いには白壁が続く
右が高梁川。川沿いには白壁が続く

石火矢町ふるさと村
石火矢町ふるさと村

武家屋敷旧折井家
武家屋敷旧折井家

しばらく北上すると道は二股に分かれる「新幡見橋」交差点。ここを左方面へと進み国道180号へ入る。ここからがブルベルート。やがて「かぐら街道」への分岐が現れるので左折する。吹屋ふるさと村へはあと18キロだ。


左折して「かぐら街道」へ
左折して「かぐら街道」へ

上に見えるのはループ橋
上に見えるのはループ橋

「かぐら街道」は強烈だった。左折した途端にきつい上りが始まり、上を見上げると本日2つめのループ橋。これをぐるりと回って上ってもこう配は変わらず、足休めの緩い勾配もなく延々と上り続け、結局、最初のピークまでは4・1キロ、平均こう配9・5%のつらい登坂だった。


ピークには「松山城を臨む見晴らし台」があり望遠鏡が設置されていた。肉眼では見えなかったので覗いてみると、何とかその姿を確認することができた。


「松山城を臨む見晴らし台」
「松山城を臨む見晴らし台」

「松山城を臨む見晴らし台」からの風景。円内が松山城
「松山城を臨む見晴らし台」からの風景。円内が松山城

ピークからはいったん豪快に下るが、その後は10%を上り10%を下ることの繰り返し。広域農道はどこもこんな感じだが、ここはきつ過ぎ。だが適度に周囲が開けて風景も楽しめ、走っていて飽きない楽しい道だった。特に突然、沿道にリアルな人形たちが現れた時は本当にびっくり。ツナギを来たライダーや農作業の格好をしたおばあちゃんがいまにも飛び出してきそうだった。あっけに取られ、その先が下りだったこともあって写真を取り忘れたのは痛恨。地図に「かぐら街道 バイクのオブジェ」とあったので何だろうと思っていたが、これだったのか!


アップダウンを繰り返しながら少しづつ標高を上げ、やがて吹屋ふるさと村まであと3キロ地点にたどり着く。大型車は直進するようだが、ここを左折。突き当たりを右折して細い道を進むと左手の頭上に巨大な広兼邸が見えてくる。このあたりで標高530メートル。スタート地点の道の駅からは47キロ。


吹屋ふるさと村まであと7キロ
吹屋ふるさと村まであと7キロ

こう配11%のきつい上り
こう配11%のきつい上り

吹屋ふるさと村まであと3キロ
吹屋ふるさと村まであと3キロ

右折して広兼邸へ
右折して広兼邸へ

高梁市のHPによると、広兼邸は享和、文化の頃(1800年ごろ)小泉銅山とローハ(硫酸鉄)の製造を営み、巨大な富を築いた大野呂の庄屋・広兼氏の邸宅で、江戸末期に建てられた、楼門づくりで城郭にも劣らない堂々たる石垣は、今もそのままに当時の富豪ぶりをたたえているという。また映画「八つ墓村」のロケが昭和52年と平成8年の2度にわたり行われたことでも有名になった。


高台にあるので眺めはいいかもしれないが、わざわざあんなところに屋敷を作らなくてもいいだろうと庶民は思う。豪商恐るべしかな。


広兼邸
広兼邸

広兼邸
広兼邸

広兼邸
広兼邸

そのまま直進していくと左手に江戸時代から大正時代まで操業した銅山の笹畝坑道。そして、ベンガラで財をなした商人が作った銅山の町・吹屋が山の中に忽然と現れる。ここで生産されたベンガラは社寺などの建築や九谷焼、輪島塗など日本を代表する工芸品を鮮やかに彩り、日本のイメージカラーである「ジャパンレッド」を創出したという。


また、赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された、独特の赤い町並みが作られた背景には同市HPによると「個々の屋敷が豪華さを纏(まと)うのではなく、旦那衆が相談の上で石州(今の島根県)から宮大工の棟梁たちを招いて、町全体が統一されたコンセプトの下に建てられたという当時としては驚くべき先進的な思想」があったという。


穏やかな日差しの中、江戸時代へタイムスリップしたような感じだ。通りの中央にはバイクラックもあるので、歩いてのんびり回ることもできる。


21年10月15日から公開されている、岡田准一主演の映画「燃えよ剣」は吹屋郷土館、前述の広兼邸など高梁市を中心に岡山県内4市でロケが行われたようだ。


ラフォーレ吹屋方面へ少し上ると吹屋小学校跡がある。明治6年(1873年)に開校し、平成24年(2012年)3月まで現役最古の木造校舎として使用されていた。現在は保存修理中で22年再公開予定。


吹屋ふるさと村
吹屋ふるさと村

吹屋ふるさと村。ヒルクライムレースのゴール地点だったようだ
吹屋ふるさと村。ヒルクライムレースのゴール地点だったようだ

吹屋ふるさと村
吹屋ふるさと村

吹屋ふるさと村内にある郵便局
吹屋ふるさと村内にある郵便局

吹屋ふるさと村
吹屋ふるさと村

吹屋小学校跡
吹屋小学校跡

ちょうどお昼時となったので吹屋食堂でランチ。「けんちん田舎そば」とおむすび2個をいただいた。太めのおそばが美味! 支払いを終え、外にでると「大事なグラブをお忘れですよ」と店長さんが追いかけてきてくれた。支払いするときも感じたが、失礼だがこの雰囲気に似つかわしくない若い男性。店名が「二代目ふるさと休憩村」とあり「二代目」って何だろうと疑問を感じていたが、あとで調べてみると、40年ほど続いたこの食堂が従業員の高齢化で閉店の危機を迎えたのだが、東京から移住したこの男性が約1年間の修行を経て店を継いだという。なるほど! 救いの神が現れたのか。頑張れ二代目!


吹屋食堂
吹屋食堂

ランチで食べた「けんちん田舎そば」とおむすび
ランチで食べた「けんちん田舎そば」とおむすび

吹屋ふるさと村を抜けると待望の下りだ(^o^) と思ったら、県道がまさかの通行止め。迂回路はあるのだが、車1台がやっと通れるような細い道でこう配も急。運悪く対向車も来たりしてブレーキかけながら慎重に下らざるを得なかった。


迂回路を脱出し、県道33号に出てからは川沿いの緩やかな下りを気持ちよく回してぶっ飛ばす。しばらくしてブルベルートにのっとり成羽川を渡り「夫婦岩」を目指したのだが、再びまさかの通行止め(T_T)。1本道なので迂回路はなく、泣く泣く断念。約4キロ、平均こう配7%の上りは回避できたが、嬉し悲し。「標高400メートルの石灰岩の台地上にそびえた3つの大塊。夫岩は12メートル、妻岩は16メートルで愛児のような岩を抱いている。夫岩は下部が細く、くさびのような岩と岩自体の形状から、絶妙なバランスによって支えられている」(岡山観光webより)という絶景を見たかった。


成羽川沿いの県道33号
成羽川沿いの県道33号

夫婦岩方面は全面通行止め
夫婦岩方面は全面通行止め

再び県道に復帰。成羽川沿いを進み、成羽町の国道313号沿いのかぐら橋に怖い顔をしてにらんでいる神楽人形発見。ここ成羽は備中神楽発祥の地とされており、人形は素戔嗚尊(すさのをのみこと)だったが、違和感たっぷり(^_^;


かぐら橋にある素戔嗚尊(すさのをのみこと)の神楽人形
かぐら橋にある素戔嗚尊(すさのをのみこと)の神楽人形

高梁市に戻ってからは朝覚悟したループ橋から始まる約6キロのヒルクライム。向かい風もあって泣きたいほどきつかった。


「道の駅かよう」を起点に高梁市からかぐら街道を吹屋ふるさと村を目指し、帰路は川沿いを走った100・8キロ、獲得標高1608メートル、グロス7時間半の自転車旅。岡山に生まれたが、ほとんど行ったことのない土地だったので新鮮であり、故郷にこんなところがあったのかと不勉強も恥じることになったが(小学校の副読本などで学んだはずだが、聞いちゃいなかったかな)、ほとんど車のいないルートで気持ちよく走ることができた。しかし、見逃した風景もあるし、何と言っても備中松山城に上っていない。リベンジのネタがまたひとつ増えたようだ。【石井政己】