米同時多発テロから今日で丸20年となりました。世界中を震撼させた2011年9月11日から大きな節目となる20周年を迎えた今、あの日を経験していない世代が増え、風化が大きな問題になっています。

筆者を含め、あの日をアメリカで過ごした人にとっては、9月11日に起きたこと、そしてその後の出来事はおそらく一生忘れることはできないでしょう。しかし、この事件について直接知らない20歳以下の世代においては、教育が行き届いていないことなどから、現在起きているアフガニスタンの問題を含め、9・11に何が起き、アメリカがどう変わったのか知らない人が増えているそうです。

米同時多発テロから20周年を振り返るCNNの特集記事(CNNのサイトより)
米同時多発テロから20周年を振り返るCNNの特集記事(CNNのサイトより)

ニューヨークの世界貿易センタービル北棟にハイジャックされたアメリカン航空の機体が衝突したのは現地時間午前8時46分でした。ここロサンゼルス(LA)の時間では朝5時46分で、第一報はベッドの中で日本からの電話で知りました。寝ぼけたまま受けた電話で「貿易センタービルに飛行機が衝突した」と告げられた時、ボーっとした頭で「飛行機事故」と認識したことを今も鮮明に覚えています。とにかく今すぐ「テレビを観て」と言われるままテレビをつけると、そこには信じられない光景が映し出されていました。何が起きたのか状況がつかめず呆然と眺めていると、どこからかやってきた2機目の飛行機が南棟に衝突。ここで初めて、単なる飛行機事故ではないことに気づき、戦慄が走ったことは言うまでもありません。

この時点でテレビ画面には「アメリカはテロの攻撃を受けた」とテロップが表示され、他にも多くの飛行機がハイジャックされているというにわかには信じがたい情報が次々と伝えられ、メディアも大混乱に陥っていました。「LAにハイジャック機が向かっている」「ハリウッドが標的になっている」「ディズニーランドを狙っている」など、現実の世界とは思えないことをテレビのキャスターたちが伝えており、とにかくテレビの前で必死にそれらの情報を拾い集め、日本に送り続けていたことを記憶しています。そして、午前9時半すぎに3機目がバージニア州アーリントンにある国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突し、10時頃には南棟が黒煙をあげて崩壊。さらにホワイトハウスか連邦議会議事堂を標的にしていたと推察される4機目が、ターゲットに到達する前にペンシルベニア州の野原に墜落したことも伝わり、現実とは思えない惨事に深夜までテレビから目が離せない1日となりました。

各地で追悼式が行われ、ニューヨークのテロ跡地で行われた式典にはバイデン大統領夫妻とオバマ元大統領夫妻も出席(NBCテレビのサイトより)
各地で追悼式が行われ、ニューヨークのテロ跡地で行われた式典にはバイデン大統領夫妻とオバマ元大統領夫妻も出席(NBCテレビのサイトより)

実は筆者はこの前夜、友人3人で出かけたラスベガス旅行から飛行機でLAに戻ってきたばかりでした。ハイジャックされた4機のうち実に3機はLA行きの飛行機だったことを知り、震え上がったことは言うまでもありません。

最終的にハイジャックされたのは4機で、危惧されたようなLAを狙った攻撃は起こらなかったものの、情報が錯綜して混乱する中であの日、空港にいた2人の友人の安否も気がかりでした。1人は前日まで一緒にいた友人で、この日の朝に飛行機でLAに戻る予定になっていました。ハイジャックが起きてすぐアメリカの上空を飛ぶすべての飛行機に着陸命令が出されたため、友人が搭乗する予定だった飛行機も離陸直前にキャンセルとなり、空港で足止めされていることが分かり一安心しました。

LAの旅行会社で日本からの観光客を空港で出迎える仕事をしていた友人も、空港が閉鎖されて中には入れないため近くで立ち往生していることが分かり、新たな攻撃の可能性を伝え安全な場所に避難することができました。当時はまだスマートフォンなどない時代で、今では考えられないことですが、外出先では何が起きたのか知る術がなく、空港では情報がないまま多くの人が立ち往生していたのです。

今では、飛行機に搭乗する際には厳しいセキュリティーチェックがあり、搭乗券を所持していない人は搭乗ゲートまで近づくことすらできませんが、この事件が起こるまさに前夜まで、身分証明書さえあればゲートまで誰でも自由に行き来することができていました。筆者たちも飛行機を降りたゲート入口で迎えの友人と合流しており、物々しい雰囲気など一切なかった時代の空港が今も時折懐かしく感じられます。爆発物に使われる恐れがあることから液体物の機内持ち込みが突如禁止されるなど、飛行機の旅はあの日を境にすっかり様変わりしてしまいました。

それ以外でもテロ後に変わったことといえば、ハリウッドの映画スタジオ内にある試写室で行われていたマスコミ向けの試写会が中止になったことがあります。映画スタジオもテロの標的になりかねないということでセキュリティーが強化され、試写はスタジオの外の一般の映画館で行われるようになりました。また、大作映画のプレミア上映会やアカデミー賞などのイベントでもしばらくの間はテロ対策として物々しい警備が敷かれていました。

ハリウッド業界だけでなく、当時は多くの国民が「またテロ攻撃を受けるかもしれない」という目に見えない恐怖を抱えて暮らしていたことは確かで、「飛行機に乗るのが怖い」「不特定多数の人が集まる場所には行かない方が良い」などと話す友人もいました。

20年前大統領だったブッシュ元大統領夫妻も追悼式に出席(ピープル誌のサイトより)
20年前大統領だったブッシュ元大統領夫妻も追悼式に出席(ピープル誌のサイトより)

アメリカはその後、反テロリズム、愛国心の名のもとにイラクやアフガニスタンに対する戦争を開始し、イスラム教徒への憎悪や恐怖感が日に日に高まる様子も肌で感じてきました。そして今、9・11を境に世の中が大きく変わったことを知らない世代が増えていることは、とても複雑な気持ちになります。24人の日本人を含む2977人が亡くなったこと、そしてあの日をきっかけに対テロ戦争へと突き進んだ結果さらに多くの犠牲者を出したことを忘れないでいて欲しいと願うばかりです。(米ロサンゼルスから千歳香奈子。ニッカンスポーツ・コム「ラララ西海岸」)