前回、日本でたったひとつの同名駅を取り上げたが、「高木駅」は他にもあった。「あった」と記したのはすでに廃線となっているから。ひとつは埼玉県の西武鉄道大宮線で、こちらは戦前に廃線となり、さすがに跡形も残っていないと思われる。そしてもうひとつは兵庫県三木市と加古川市を結んだ三木鉄道である。こちらは廃線から約12年。土地勘のない場所でもないので足を運んだが、途中からは廃駅探しに加え、いろいろ考えてしまう旅となった。(訪問は昨年11月)


三木に向かうのには、いろいろな方法があるが、この日は明石駅からバスに乗って三木に向かった。いろいろな方法があるのが、ある意味問題なのだが、それについては後述する。50分で三木中町というバス停で降りる。このあたりが三木市の中心部だ。中心部を進めば神戸電鉄の三木駅、やや街外れに向かえば、旧三木鉄道の三木駅である。鉄道公園として整備され、旧駅舎は記念館であるふれあい館にもなっている(写真〈1〉〈2〉)。

〈1〉三木鉄道三木駅跡は鉄道記念公園となっている
〈1〉三木鉄道三木駅跡は鉄道記念公園となっている
〈2〉保存されている車止め
〈2〉保存されている車止め

が、当日は三木市の名産である金物にちなんだ金物まつりの日で記念館は臨時休館。大変困った。というのは、この記事の企画自体が瞬時に終わってしまうからだ。旧三木鉄道の路線跡は遊歩道として整備されている(写真〈3〉)。自転車も禁止ということで実に心地よい散歩ができるのだが、件の高木駅は三木駅のお隣なのだ。しかも駅間わずか500メートル。あっという間に到着してしまった(写真〈4〉)。

〈3〉線路跡は散策道として整備されている
〈3〉線路跡は散策道として整備されている
〈4〉高木駅跡を示す駅名標
〈4〉高木駅跡を示す駅名標

三木鉄道は大正時代に開通した。元々は物資輸送のために加古川線と同じく地元の私鉄が敷設した。日本中にあてはまることだが、貨物輸送のための路線は総じて歴史が古い。戦前からのローカル線の多くがそうであるように、戦時中に国鉄となり、三木線となった。

だが貨物目的だったため、旅客的にベクトルの大きい隣町の神戸に線路はつながらず、三木駅も街外れ。現在の神戸電鉄粟生線が後発で神戸への直通路線を通すと、たちまち苦境に陥る。結局、JRの誕生を待たず第3セクター三木鉄道となった。その際、利便性を図るためにいくつか新駅が設けられた。高木駅はそのひとつである。駅名は周辺の住所にちなむが、結局は22年しか使われなかった。

〈5〉高木駅があった場所
〈5〉高木駅があった場所

新設駅だけに簡素な1面1線の構造だった(写真〈5〉)。三木鉄道跡を利用した遊歩道である「別所ゆめ街道」では駅があった場所に、在りし日の写真を展示したパネル形式の駅名標が設置されている。駅間の距離が分かったのも、このためだ。さて、これで目的を果たしてしまったのだが、せっかくの遊歩道である。このまま歩いてみよう。幸いにして秋の好天日で平らな道を5キロもない。しんどくなったら、ほぼ平行して県道を走る代替バスに乗ればよいのだ。一部鉄道跡も残っており、別所駅と石野駅はホームを残して駅舎風の休憩所となっている(写真〈6〉~〈9〉)。

〈6〉別所駅跡はホームが残り休憩所となっている
〈6〉別所駅跡はホームが残り休憩所となっている
〈7〉別所駅跡にある三木鉄道の歴史を記した石碑
〈7〉別所駅跡にある三木鉄道の歴史を記した石碑
〈8〉遊歩道に踏切跡が残る
〈8〉遊歩道に踏切跡が残る
〈9〉ところどころに遺構が残っている
〈9〉ところどころに遺構が残っている

この遊歩道、実は三木市の部分で終わっており、加古川市の部分は未整備状態であるが、逆に言うと、こういう廃線探しは大いにやりがいが出るところだ。まだ11年。それなりに跡は残っているはずだ。まずは宗左駅。三木市と加古川市の市境は小さな峠となっており、平行する県道を上って下る。駅があったであろう場所に行くと、住宅地図にはまだ宗左駅が残っていて容易に場所が分かった(写真〈10〉~〈12〉)。

〈10〉宗左駅の跡地近くの住宅地図にはまだ駅が残っていた
〈10〉宗左駅の跡地近くの住宅地図にはまだ駅が残っていた
〈11〉宗左駅は踏切跡の右手向こうににあった
〈11〉宗左駅は踏切跡の右手向こうににあった
〈12〉宗左駅と国包駅の間。高さ制限がなくなった
〈12〉宗左駅と国包駅の間。高さ制限がなくなった

お次の国包駅。こちらはバス停からすぐのところにあった(写真〈13〉〈14〉)。そして接続駅だった加古川線の厄神でゴール。こちらも駅前の地図には三木鉄道が残っており、たっぷり3時間歩いたが充実の3時間だった(写真〈15〉)。

〈13〉国包駅跡近くの代替バス停
〈13〉国包駅跡近くの代替バス停
〈14〉国包駅の跡地
〈14〉国包駅の跡地
〈15〉厄神駅近くの地図にはまだ三木鉄道が残っていた
〈15〉厄神駅近くの地図にはまだ三木鉄道が残っていた

後日あらためて旧三木駅を訪れた。ふれあい館に入る。08年に廃線となった三木鉄道の足跡と写真が展示されている(写真〈16〉~〈18〉)。この日は神戸の中心部三宮からバスで50分。時間が合えば、このコースが神戸からは最も楽だ。特に三木市内の新興住宅街へは朝夕を中心に細かく三宮行きのバスが走っていて、渋滞を巧みに避けるこのバスは駅まで行かずとも近所から乗れるということで利用者に人気がある。三宮まで直接行けない神鉄は、ごっそり客を奪われており、神鉄粟生線は現在、三木の中心部へは昼間は1時間に1本という閑散区間で存続の危機に陥っている。

〈16〉旧駅舎のふれあい館には在りし日の写真が展示されている
〈16〉旧駅舎のふれあい館には在りし日の写真が展示されている
〈17〉三木鉄道で使用されていたサボ
〈17〉三木鉄道で使用されていたサボ
〈18〉三木鉄道の記念きっぷ
〈18〉三木鉄道の記念きっぷ

三木鉄道の旧三木駅から車で数分で道の駅に着く。大型駐車場を備えるが、地元の特産品が人気で週末は車を止めるのも苦労するほどにぎわう。そこから少し行くと今度は神戸市営地下鉄西神中央駅の町並みが見えてくる。あと少しレールが伸びていれば…。神鉄と競るのではなく寄り添えば…。都会に隣接しながら21世紀になって無念の廃線となった三木鉄道の写真を見ながら、そんなことを考えてしまった。【高木茂久】