紀州鉄道は終着駅を降りてからも楽しめる路線である。現在の終点である西御坊駅から、さらに700メートルほどの日高川駅がかつての終点だが、廃線、廃駅から30年が経過してもレールや駅が、ほぼそのまま貴重な姿をとどめている。あえて言えば「乗ってよし、歩いてよし」の紀州鉄道後編。読者プレゼントも継続して受け付け中です。(文章や写真の情報は2月時点のものです)
突然の終点、ギリギリ停車の西御坊駅。実は先にレールが続いている。ただし列車が走る予定はない。廃線跡だ(写真1、2)。貨物輸送も担っていた紀州鉄道は日高川の河口近くまで線路があり、終点の駅名も、その名の通り日高川だったが、貨物輸送の減少とともに平成を迎えたその年に廃線、廃駅となった。しかしレールはほぼそのままの形で日高川まで残っているので、鉄路沿いに歩くと到達できる。
これは貴重な例だ。私も廃線跡を回るのが好きで各地に出かけているが、基本的にはすっかり自然に返っているか、遊歩道もしくは道路となって駅のあった記念碑が残っているかの二択だ。1月16日に書いた三木鉄道の廃線跡は前半が後者、後半が前者だった。また人というのは実に身勝手なもので、私の場合、きれいに遊歩道として残っていると、いまひとつ物足りない一方で、途中で迷子になってしまうと「ちゃんと残しておいてくれよ」と思ってしまう、まだまだ修行が足りない人間だ。その点、紀州鉄道は廃線跡が実に分かりやすい上、自然に返りつつあるもレールはちゃんと残っている理想型である。
線路に沿って歩く。さすがにレール上を歩くのはマズいので近くの道を行くが、レールとつかず離れずの形で道路があるので迷うことはない(写真3)。てくてくあるいて、もうそろそろかな、と思うと残された踏切に遭遇して日高川駅跡である(写真4~6)。ホームはまだ残っている。ひと仕事した感覚だ。歩いたのは時間にして15分ぐらいだろうか。帰りの時間を考えると、その倍になるが散策距離としては良い距離だ。三木鉄廃線跡で約7キロを痕跡探ししながら3時間歩いたことを考えると、よい散歩である。いずれにせよ廃線から30年がたって、これだけの形でレールが残っているのは珍しいことだ。産業遺産クラスである。
廃線、廃駅の感傷に浸って日高川駅とはお別れ。今度は学門駅を目指す。西御坊駅方面ではなく、ショートカットするように街の中心部の商店が並ぶ道を行けば紀伊御坊駅である。そこからは学門までは歩いてすぐだ(写真7)。以前は中学前という名前だった。戦前に廃駅となったが、近くの高校からの要望もあって現駅名で復活した。学校の門に入るのは大変縁起がいいと入場券などの関連グッズに人気がある。グッズについては前編でも触れた通り、紀伊御坊駅で販売している(写真8、9)。
その後、学門駅と御坊駅の間にあるうなぎ店でおいしいうなぎをいただきながら昼間から(正確に言うと、まだ午前中だった)ビールである(写真10)。ローカル線の旅で重要なのは昼食の確保だと、しつこいぐらいに書いているが、こちらは困らない。街の中に商店はあるし、国道沿いはロードサイド店もズラリ並んでいて、もちろんコンビニもある。
田中輝美さんから読者プレゼント用に提供していただいた著書「すごいぞ!関西ローカル鉄道物語」によると、全区間2・7キロの間に踏切が18カ所もあるという。そのジャンルは詳しくない私でも、それがかなりの数字であることは分かる。今回は徒歩に適した季節だったので、かなりの部分を歩いたが、以前9月に訪れた時は、あまりの暑さにベンチに腰掛けて列車を待った。わずかな区間を「8分も」かけて走る紀州鉄道。御坊までのアクセスも悪くないので、ぜひ味わってほしい(写真11~13)。【高木茂久】
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