支線シリーズ第5弾は山陽本線支線の通称「和田岬線」。神戸の中心地近くにありながら単線で旅客電車が走るのは朝夕のみ。使用車両は今や都心では全く見かけない旧車両で、日曜日は、なんと1日1往復という、いくつかのキーワードを並べるだけでも興味が尽きない路線だが、そんな鉄路にも、かつてはサッカーW杯の夢があった。平日の夕刻。17時になると、朝のお勤め後、しばらくお休みしていた兵庫駅の和田岬線(※1)乗り換え口が開放される(写真1、2)。

〈1〉平日の昼間は17時まで和田岬線との乗換口は閉鎖される。1駅だけなので先に料金を支払う仕組みとなっている
〈1〉平日の昼間は17時まで和田岬線との乗換口は閉鎖される。1駅だけなので先に料金を支払う仕組みとなっている
〈2〉兵庫駅にある和田岬線ホームへの入場開始時刻の告知
〈2〉兵庫駅にある和田岬線ホームへの入場開始時刻の告知

たったひとつの和田岬駅は無人駅なので利用客は先に料金を支払うシステムだ。ホームに入ると待っているのは旧国鉄103系。かつては山手線をはじめ、都市圏のいわゆる「国電」として活躍した。一定以上の世代にはなじみのある車両。水色の103系となれば、京浜東北線や東海道・山陽本線、阪和線の印象が強い(写真3)。

乗客はほぼ無人に近い。それでも6両と立派な編成で、ちゃんと車掌さんを乗せて出発する。出発すると、すぐ到着だ。3キロに満たない路線は、わずか3分で終着駅の和田岬に至る。ほぼ無人の車両も6両編成も車掌さんの存在も、この時に理由が分かる。和田岬のホームには多くの乗客が待っているからだ(写真4)。

〈3〉和田岬線の主要車両である103系
〈3〉和田岬線の主要車両である103系
〈4〉夕刻の和田岬駅では多くの乗客が利用する
〈4〉夕刻の和田岬駅では多くの乗客が利用する

臨海地域へと向かう和田岬線は兵庫港からの貨物運搬用に敷設された。1890年と明治期。130年もの歴史を持つが、現在は和田岬駅周辺の工場や学校への通勤通学の足となっている。だから通勤通学の時間帯以外は走らない。首都圏ならば鶴見線と同様の性格を持つ。朝は兵庫駅からの旅客で埋まり、夕刻は兵庫駅への旅客でにぎわう。通勤通学の理由を突き詰めると週末はさらに必要性が薄まる。土曜日はまだ運行があるが、日曜日に至っては1日わずか2往復(写真5、6)。「山陽本線」「神戸市内の駅」というキーワードからは想像もできない本数だ。ちなみに土曜ダイヤがある路線は都心部では珍しいことだ。

貨物線の色合いが濃い路線だけに長らく電化されていなかった。平成を迎えてもディーゼル機関車が客車をけん引するという光景が見られた。その後はディーゼル気動車に置き換えられたが、これもまた21世紀に神戸市内の山陽本線に非冷房車が走るという珍しいシーンとなった。

〈5〉和田岬線の時刻表。土曜ダイヤがあり、日曜日は1日2往復しかない
〈5〉和田岬線の時刻表。土曜ダイヤがあり、日曜日は1日2往復しかない
〈6〉和田岬駅の駅名標
〈6〉和田岬駅の駅名標

そんな和田岬線が電化されたのは2001年7月のこと。このタイミングはだれもが「ははーん」と思った。和田岬駅を最寄りとする御崎公園球技場(現ノエビスタジアム)が改装され、翌年開催のサッカーW杯の会場となったからだ。しかも単なるひとつの会場ではない。3試合が行われ、3試合目は決勝トーナメントの1回戦。日本が1次リーグを2位通過した場合の会場だったのだ。相手はほぼ確実にブラジルだと予想され、実現すれば歴史的な試合となる。

結果的に日本が1位通過したため、ブラジルとの対戦は実現しなかったが、そのブラジルとベルギーも印象に残る試合となった。私もよく覚えている。「3R」(※2)が流行語にもなったブラジルを相手に、ベルギーが後に代表監督も務めたウィルモッツ主将の見事なヘディングで先制…と思われたが、直前にファウルがあったということで無効。映像を見返してもどこが反則なのか、よく分からない、当時「疑惑の判定」と騒がれた幻のゴールに救われたブラジルは、その後2点を挙げ、優勝へと進むことになる。

〈7〉かつては駅舎があったが11年前に解体され、改札のない無人駅となっている
〈7〉かつては駅舎があったが11年前に解体され、改札のない無人駅となっている
〈8〉かつて駅舎があった場所はコンビニとなったが、和田岬線の歴史が展示されている
〈8〉かつて駅舎があった場所はコンビニとなったが、和田岬線の歴史が展示されている

そんな熱気に包まれたW杯だが、和田岬線にW杯が来ることはなかった。電化とほぼ同時期に神戸市営地下鉄海岸線が開業。「ホームが狭く混乱する」との理由で最寄りは地下鉄またはJR兵庫駅からの徒歩(30分ほどかかる)に限定され、和田岬線は定期列車も含め「運休」となってしまったのだ。途中駅のない和田岬線ならピストン運行すれば、多くの利用客を運べるはず、と思っていた私(だけではないはず)はビックリしてしまった。確かにホームが狭いといえば狭いが、W杯の観客を運ぶことはなくなってしまった。(写真7、8)

W杯後、運河の再開発に線路が妨げになる、との理由で神戸市が和田岬線の廃止を求めたことがある。市側から公式発言はないが、地下鉄の乗客が伸びないのは和田岬線があるから、との理由もあるとされる。今も存続問題は残っているが、昨年のラグビーW杯では無事に運行された。今も貴重な足そして使用車両や運行も含めた貴重な存在として和田岬線は走り続ける。(写真9、10)【高木茂久】

〈9〉和田岬駅近くの踏切を行く103系
〈9〉和田岬駅近くの踏切を行く103系
〈10〉兵庫駅の和田岬線の駅名標。上を山陽本線が走る
〈10〉兵庫駅の和田岬線の駅名標。上を山陽本線が走る

※1 大阪から神戸までの東海道本線と神戸から姫路までの山陽本線はJR神戸線の愛称が付けられ、各案内でも愛称が使用されることが多い。その場合、和田岬線は別線のように扱われるが、正式には山陽本線の一部である。

※2 当時のブラジル代表で攻撃の核となったロナウジーニョ、リバウド、ロナウドの3人の頭文字をとったもの。