阪神の武庫川駅から武庫川団地までを結ぶ武庫川線はわずか1・7キロの「ミニ支線」である。ただ戦時中から戦後しばらくは武庫川沿いに北上して甲子園口で国鉄(現JR)に合流する、もう少し長い路線だった。昨年2月に現役の武庫川線と高校野球の歴史が残るその周辺を歩いたが、今回もセンバツを目前とした時期に廃線部分を歩いてみた。(訪問は3月11日)

実を言うと1年も間隔が空くとは思ってもいなかった。昨年の記事は3月5日。2月に武庫川線沿線を散策。センバツ直前でもあり、かつては中等学校野球大会(現在の全国高校野球選手権)の会場だった鳴尾球場付近まで歩いた。その後センバツは中止。では夏の大会前に廃線跡に行こうと考えていたが、夏の選手権も中止。今回センバツが無事に開催されるということで訪ねることができた。

〈1〉甲子園口駅前にあるバットとボールのオブジェ
〈1〉甲子園口駅前にあるバットとボールのオブジェ

ということでスタートは甲子園口から。駅前にはバットとボールのオブジェ(写真1)。ただ分かっている方は分かっていると思うが、こちらは甲子園球場の最寄り駅ではない。最寄りはあくまで阪神の甲子園。甲子園口から徒歩で30分はかかる。降りてしまったらバス利用をおすすめしたい。もっとも私は今から廃線跡巡りなので、ここから歩くのだが。

〈2〉SL公園にある給水塔のオブジェ
〈2〉SL公園にある給水塔のオブジェ
〈3〉給水塔の説明板
〈3〉給水塔の説明板

まずは武庫川とは逆側の西宮駅へ向け線路沿いを歩くこと約10分で公園に到着。給水塔のオブジェが目につく。鉄道ファンでないと気付きにくいかもしれないが、そもそもSL公園という名前で説明板もある。そして残念ながら、私が知る限り、廃線跡を具体的に表示する唯一の存在だ(写真2、3)。

〈4〉高架の南側の断面は四角
〈4〉高架の南側の断面は四角
〈5〉トンネルの北側はアーチ状
〈5〉トンネルの北側はアーチ状

甲子園口に戻り東に向かうと、すぐに高架下をくぐるトンネルがある。交通量は多い。一見、何の変哲もないが逆側に回ると不自然に気づく。短いトンネルにもかかわらず南側の断面は四角で北側はアーチ状。これは後から南側を足したからである(写真4、5)。

昨年3月の記事でも書いたが、武庫川線は軍需工場への人員と物資輸送のため、戦時中の1943年11月に一部が開通。1年後には国鉄と合流して「全通」した。国鉄とつなげたのは物資輸送のためである。戦時中の突貫工事なのでトンネルの形を合わせるなんてできなかったのだろう(※1)。

〈6〉線路はこの土手を通って地上に降りていきマンションの方向に向かっていたと思われる
〈6〉線路はこの土手を通って地上に降りていきマンションの方向に向かっていたと思われる

甲子園口の駅から分岐した武庫川線は高架を下って武庫川の手前で弧を描き、川沿いに阪神の武庫川駅を目指す。そこにはマンションが建っているが、ややカーブしたような形をしている(写真6)。その後はほとんど真っすぐだが、多くの都会の廃線跡がそうであるように時間の経過とともに分かりにくくなっている部分が多い。

44年11月に全通した武庫川線は翌年に空襲を受け、間もなく終戦。人とモノの軍事輸送という役割を果たせずに終わったが、戦後は進駐軍の依頼で貨物輸送だけは続いた。進駐軍が軍需工場を接収したためだという。阪神と国鉄を結ぶ異色の路線だっただけに運行体系も異色だった。武庫川駅から北上すると小松駅があり、その次が国道2号線とぶつかる場所で武庫大橋駅があった。こちらは路面電車である阪神国道線との乗換駅。電化区間と旅客扱いはここまでで、その先は貨物専用線で甲子園口へ至った。

阪神と国鉄では線路幅が異なるため、三線軌条(※2)が採用され、阪神の路線に電車と蒸気機関車が並んで走っていた。ただ貨物輸送は58年に終わり、70年に正式廃止。この時点で甲子園口~武庫大橋は廃線となり、旅客扱いを戦後間もなく止めていた武庫川~武庫大橋も事実上終わった。それでも正式に廃線となったのが85年と遅かったため、今も何とか痕跡を垣間見ることができる。

〈7〉武庫川沿いの遊歩道。廃線跡に見えなくもないが、右側の道路に降りていく部分もそう見える
〈7〉武庫川沿いの遊歩道。廃線跡に見えなくもないが、右側の道路に降りていく部分もそう見える
〈8〉現在の浄水場の中を走っていた
〈8〉現在の浄水場の中を走っていた

マンション近くの武庫川沿いには遊歩道があり、一見これが廃線跡にも見えるが、道路部分だと思えなくもない(写真7、8)。

〈9〉武庫大橋から北側を見る
〈9〉武庫大橋から北側を見る
〈10〉奥の突き当たりが武庫大橋駅のあった部分
〈10〉奥の突き当たりが武庫大橋駅のあった部分

さらに南下すると浄水場があり、ここを走っていた。やがて武庫大橋に突き当たる。レールは国道の下をくぐっていたが、今はふさがっている。国道を渡ると線路跡には一戸建て住宅が並ぶ。武庫大橋駅の場所も、もちろんそうだ(写真9、10)。

〈11〉カーブに沿うように住宅が並んでいる。道路の右側は古い建物が多い
〈11〉カーブに沿うように住宅が並んでいる。道路の右側は古い建物が多い
〈12〉小松駅はここにあったのだろうか。痕跡を示すものはない
〈12〉小松駅はここにあったのだろうか。痕跡を示すものはない

この後も住宅地が続くが、いかにも線路という緩やかなカーブに沿って家が並び、さらに言うと南向きに歩いた場合、右手に古い建物が多いのに対し、左手に新築の建物が続くことを考えると線路跡だったのだろう。小松駅の場所は分からなかったが、ホーム跡の土地はそれなりに広かったはずなので、デイサービスの建物ではないかと推測している(写真11、12)。

〈13〉現役路線の北側に到着
〈13〉現役路線の北側に到着
〈14〉引き込み線の北側から。武庫川線専用の新型車両が待機中
〈14〉引き込み線の北側から。武庫川線専用の新型車両が待機中
〈15〉武庫川駅に到着
〈15〉武庫川駅に到着
〈16〉駅の通路には「小松方面」の文字がある
〈16〉駅の通路には「小松方面」の文字がある

やがて引き込み線が見えて武庫川駅に到着(写真13~16)。ここから先は現役路線だ。阪神の最後の赤胴車(※3)が姿を消して間もなく9カ月。その車両は今後、武庫川団地内に展示される予定だという。甲子園口から歩き始めて1時間半。SL公園への往復が20分ほどかかることを考えると1時間ちょっと。坂道もないので廃線跡巡りというより散歩に近いのでお手軽である。センバツも無事開幕した。このまま決勝まで全チームが順調に日程を消化してくれることを願いつつ、この原稿を書いている。【高木茂久】

〈17〉甲子園口駅の下り外線にホームがないのは武庫川線の名残
〈17〉甲子園口駅の下り外線にホームがないのは武庫川線の名残

(※1)甲子園口駅の下り外線(新快速などが走る線路)はホームがないが、武庫川線の名残である(写真17)。

(※2)日本の鉄道の線路幅は主に狭軌(1067ミリ)と標準軌(1435ミリ)の2種類で線路幅が異なると相互乗り入れはできないが、標準軌の内側にもう1本レールを敷くことによって可能になる。青函トンネル(新幹線が標準軌)などに見られるが保安や分岐に手間がかかるため、採用例は多くない。

(※3)昨年3月5日で「赤銅車」と表記しましたが「赤胴車」と訂正させていただきます。