福塩北線の駅巡りは府中で1泊した後、2日目を迎えた。朝に3本、夕方に3本しかない貴重な運行を生かすためにも、始発発進である。この日は青春18きっぷも投入。上下駅から塩町駅までの7駅にチャレンジした。桜は散りつつあったが、まだまだ朝は冷え込み、そして暗かった。(訪問は4月4、5日)


◆(福塩線)府中5時28分→備後安田6時38分

4月に入ったばかりで、まだまだ早朝は暗かった。というより真っ暗。ホテルの朝食500円も魅力的だったが、そんなわけにはいかない。4時半過ぎに起きてチェックアウト。助けられたのは駅近くのコンビニ。これだけでも府中に泊まったかいがあった。朝食となるパンと道中での食料を購入。駅へと急ぐ。(写真1~3)

〈1〉朝5時すぎの府中駅は真っ暗だった
〈1〉朝5時すぎの府中駅は真っ暗だった
〈2〉始発の時間帯の窓口は無人だった
〈2〉始発の時間帯の窓口は無人だった
〈3〉三次行きの始発。右に見えるのは福山行きの始発
〈3〉三次行きの始発。右に見えるのは福山行きの始発

福塩線の府中~塩町、いわゆる福塩北線はすべて府中が始発及び終着。それにしても府中発の午前の3本が5時28分、6時34分、8時11分というのはすごいダイヤだと思う。冬場だと最初の2本は夜が明けきっていない。府中には駅員さんがいるが、この時間帯はまだ窓口は営業していない。ということでワンマン車の運転手さんにサインをもらう。私は18きっぷにもらう手書きの署名が好きである。ハンコまで押してくれたので写真はお見せできないが、18きっぷ利用の最初の駅が無人という機会は意外と少ない。今回も早朝だったからだ(※)。

備後安田までは約40キロで70分。徐々に夜が明ける車窓に目を奪われて体感的にはすぐだったが、結構な距離と時間である(上下で行き違いのため3分停車)。到着時にはすっかり朝が訪れていた。

財産標を見つけられなかったので正確には分からないが、昭和初期の開業時からの駅舎だろうか。いい趣である。もちろん無人駅だが駅舎周辺は木も含めてきれいに整えられている。中国山地の各駅でいつも見る光景だ。かつてはすれ違いもできる構造だったようだが、今は1線のみで側線が2本残る。(写真4~6)

〈4〉備後安田の駅舎
〈4〉備後安田の駅舎
〈5〉備後安田は現在1面1線。今は使用されないホームが残る
〈5〉備後安田は現在1面1線。今は使用されないホームが残る
〈6〉備後安田の駅名板。字体が美しい
〈6〉備後安田の駅名板。字体が美しい

当駅で降りたのは私1人だったが、入れ替わるように複数の乗車があった。実は府中の発車時は貸し切り状態(汗)。2週前に乗った姫新線の津山~新見間と同じだ。だが上下駅手前あたりから乗り降りがあり、いつの間にか10人近い乗客になっている。ほとんどが高校生。まだ春休みのはずだから、休みが明ければさらに増えるのだろう。

◆(福塩線)備後安田6時55分→上下7時18分

備後安田では20分も満たない滞在で上下に折り返す。いったいどう読むのかと思ってしまうかもしれないが普通に「じょうげ」。今は府中市だが少し前までは上下町。印象的な町名は位置に基づく「峠」の文字からできたなどの説があるが分水嶺(れい)にもあたり、江戸時代に幕府の直轄地だったことが宿場町としての重要性を物語る。(写真7~9)

〈7〉上下の駅舎
〈7〉上下の駅舎
〈8〉駅の入り口には優れた観光案内人がいる
〈8〉駅の入り口には優れた観光案内人がいる
〈9〉朝からタクシーが常駐。古い街並みが残る
〈9〉朝からタクシーが常駐。古い街並みが残る

福塩線も三次から上下、府中を経て福山へと至る街道のイメージで敷設された。大正期に福山から別会社が府中へ到達。昭和に入り間もなく電化された。電圧も線路幅も現在とは異なるが、この時期の電化はローカル路線としては画期的なことだ。阪神間の国鉄が電化されたのは、これより後だし、現在JR神戸線と愛称が付けられている大阪~姫路間の全線電化に至っては戦後10年以上が経過してからということを考えると、よく分かる。

電化直後に国有化。そのころから国鉄による工事が始まり、塩町から伸びてきたレールは1938年に府中に到達して全線開業。電化部分と非電化部分があり、電化部分の駅数が圧倒的に多いのは、こんな歴史があるからだ。その中で上下駅は福塩北線の中心駅といえる。朝から駅前にタクシーが並んでいることからも、よく分かる。私的には瀬戸内四国版というページを作成していた20年以上前、夏の高校野球地方大会を前に「部員9人の野球部」として後輩が上下高校を取材したことが思い出深い。(写真10~13)

〈10〉ホームには福塩線の最高地点を示す碑がある
〈10〉ホームには福塩線の最高地点を示す碑がある
〈11〉1度聞いたら忘れられない町名である
〈11〉1度聞いたら忘れられない町名である
〈12〉側線の保安車。まだギリギリ桜が残っていた
〈12〉側線の保安車。まだギリギリ桜が残っていた
〈13〉陸橋にあった文字
〈13〉陸橋にあった文字

上下の地名については前述した通りだが、駅も福塩線で最高地点にある。確かに前日、府中の市内からバスで備後矢野まで来た時は、上り坂ばかりの車窓を見ながら「こちらの方向に歩かなくて良かった」と思ったものだ。すれ違い可能な構造で私が訪れた時には保安車も止まっていた。趣のある駅舎では人形が観光案内をしてくれる。2月から3月にかけて開催される「天領上下ひなまつり」は大いににぎわいを見せるという古い街並みを私も歩いてみたかったが、残念ながら滞在は10分ちょっと。まだ朝の7時半で構内の窓口も売店も開いていないが、キハ120に乗車である。早朝ともいえる時間だが、すでに午前3本しかない列車のうち2本を使用している。

◆(福塩線)上下7時31分→甲奴7時38分

今朝は府中市と三次市を行ったり来たりしているが、上下から1駅の甲奴は三次市。旧甲奴町の中心駅。「こうぬ」だが「ぬ」と読むのが難しい。「ぬ」で終わるJR駅は唯一らしい。この木造駅舎は戦前の開業以来のものだろう。だが上下と同じく、これまた駅舎や周辺を味わう余裕はない。ここからがメインイベントである。(写真14、15)【高木茂久】

〈14〉甲奴駅の駅舎
〈14〉甲奴駅の駅舎
〈15〉甲奴の駅名標。「ぬ」と読むのがポイント
〈15〉甲奴の駅名標。「ぬ」と読むのがポイント

※都市部の幹線上にある駅でも時間によっては無人化が進んでおり、今後は車内でチェックをもらうことが増えるかもしれない。