鉄道というよりバスや徒歩に注力することが多かった福塩線の駅巡り。それでもバスに乗ったからこそ、そして歩いたからこそ発見できることも多かった。もちろん、もう少し何とかならなかったのか、の後悔もある。そして「終着駅」の塩町で、ふとよみがえった3年前の思い出。福塩線エピローグです。(訪問は4月4、5日)

福塩線
福塩線

福山と塩町を結ぶから福塩線。両端の駅名から名付けられたJRの路線名はいくつかある。米坂線(米沢と坂町)、姫新線(姫路と新見)、高徳線(高松と徳島)など。ただ見て分かる通り、現役路線を見ると両端の駅はいずれも有人駅。すべての列車が三次まで運行されるという事情はあるが、終点が無人駅というのは珍しい(釧網本線は正式な終点は釧路の手前の東釧路で無人駅。水郡線は郡山の手前の安積永盛が終点だが有人駅である)。

それでも昭和初期の全通前から路線名は福塩線と名付けられていた。実は当初、塩町駅を名乗っていたのは芸備線でひとつお隣の神杉駅。現在の塩町は初代塩町から遅れて田幸駅として開業。福塩線の工事が進み、分岐駅となったことで田幸が2代目塩町駅となった。そんな経緯があるためか神杉と塩町の距離は極めて近い。そしてなぜ私が駅の歴史を雄弁に語れているかというと、駅舎に詳細な歴史が記されているからだ(写真1~3)。あまりに達筆で目を凝らさなければならない部分もあるほどだが、これだけでも一見の価値はある。ぜひ訪れてほしい。(※1)

(1)駅舎内では塩町駅の歴史が一目瞭然
(1)駅舎内では塩町駅の歴史が一目瞭然
(2)年季の入った駅名板が駅舎に掲げられている
(2)年季の入った駅名板が駅舎に掲げられている
(3)ホームの外のユニークな場所に駅名標が掲げられている
(3)ホームの外のユニークな場所に駅名標が掲げられている

私が三良坂から乗車したのは9時38分発で塩町着が同46分。私は30分後の列車で三次に向かったが、46分の列車には思い出がある。2018年2月25日のことだ。(写真4)

(4)思い出の残る46分の三次行き
(4)思い出の残る46分の三次行き

その日は福山に前泊して福塩線を完乗。三次で3時間後の芸備線・備後落合行きに乗車予定だった。だが三次で降りると目が合った駅員さんが「間もなく出発しますよ」と私を別の列車に誘導しようとする。一瞬、何のことか分からなかったが三江線の列車だった。当時の状況を説明すると三江線は3月31日での廃線が決まっていたが、年明けから大雪に見舞われ長期間運休し、2月24日に全線運転を再開したばかりだったのだ。別れを惜しもうとも惜しめない状態からの再開で多くのお客さんでにぎわっていた。

私は鉄道というのは地元の方のものだと考えているので廃線が決まった路線には基本的に乗らない。唯一の例外が北海道の江差線だ。しかし乗り継ぎ時間が3時間。ここは少し乗ってみよう。手元にあるのは「おとなびパス」というJR西日本乗り放題きっぷだったので問題ない。そもそも3両編成のキハ120に初めて出会ったし乗ってみたい。私の顔を見た瞬間に「鉄オタ」だと見抜いた駅員さんにも応える必要があるだろう…。(写真5)

(5)三江線の廃線を間近に3両編成で運行されていた
(5)三江線の廃線を間近に3両編成で運行されていた

さて今回の福塩線の旅だが、鉄路では何度か訪れたが、陸路(バスや乗用車)は初だった。道路を行くと町の形がよく分かる。坂の上りや下りもインプットしておくと再訪に役立つ。徒歩が可能かどうかが判断できるからだ。惜しまれるのは甲奴から広島バスセンターまでを走る「ピースライナー」(※2)をうまく使えなかったこと。

甲奴駅から上下駅、備後三川駅付近を経て世羅からバスセンターまで1日4往復のバスがある。長距離バスゆえ、出発付近は乗車のみ、目的地付近は降車のみという、よくあるシステムを採用しているが、甲奴から世羅までは乗降可能らしく、バス会社に電話して確認した。しかし時刻表とにらめっこしても、いい乗り継ぎが思い浮かばなかった。次回への課題としよう。

徒歩区間で印象に残ったのは甲奴駅近くの「カーター通り」(写真6)。このイラストはどう見ても元米国大統領だろうと思いつつ、この時は梶田へ急いでいたので後から調べた。甲奴のお寺から戦時中に金属供給された鐘が兵器とはならず、英国から米国へと渡りカーターさんの地元ジョージア州に寄贈されたことで縁が生まれ、カーターさんが甲奴を訪れることになったという。これは歩かないと分からない話だった。

(6)甲奴駅近くの商店街はカーター通りと名付けられていた
(6)甲奴駅近くの商店街はカーター通りと名付けられていた

三良坂の出雲大社備後分院も初めて知った。今は府中市と三次市になっているが、かつては上下町、甲奴町、吉舎町、三良坂町のそれぞれの中心駅だったのだ。駅付近が大きな町になっていて当然である。

3年前に話を戻そう。三江線は1駅だけ乗って尾関山で降りた(写真7~9)。三次へ徒歩で戻ることが確定していたからだ。乗降客は私1人。駅前通りを歩いて目に入った小学校が「三次小学校」という名前。逆方向には裁判所もあり、付近が三次の中心部だったことを知る。日付が正確なのは前日の24日に平昌冬季五輪で日本がマススタートで金、カーリングで銅を獲得するのを福山のホテルで見ていたからだ。ショッピングセンターでの食事後、大きなテレビで一夜明けのインタビューを見ていたら、すぐ時間が経ってしまった。

(7)尾関山駅のホーム
(7)尾関山駅のホーム
(8)尾関山の駅舎
(8)尾関山の駅舎
(9)尾関山から三次の街を歩いた
(9)尾関山から三次の街を歩いた

芸備線の乗車は備後落合で3方向が出会う「有名列車」だったが、木次線は雪で代行バス。こちらも少し後悔しているのは新見に向かう芸備線に乗ったこと。雪の代行バスは、なかなか狙って乗車できるものではない。フリーきっぷを持っていたことだしJRの乗車券でバスに乗れる機会を逃してしまった(写真10~13)。こちらのコラムでは芸備線と木次線の一部から因美線、姫新線、福塩北線と紹介してきた。中国山地のJR路線については、具体的な動きのほかに、いろいろな憶測も乱れ飛んでいるが、この原稿を書いている時点では何も決まっていない。私自身は涼しくなれば、また山中に分け入っていくつもりだ。【高木茂久】

(10)芸備線を備後落合へ進むと雪が深くなってきた
(10)芸備線を備後落合へ進むと雪が深くなってきた
(11)備後落合駅
(11)備後落合駅
(12)備後落合の駅名標
(12)備後落合の駅名標
(13)三次行き(左)と新見行きが並ぶ。木次線は雪のため代行バスだった
(13)三次行き(左)と新見行きが並ぶ。木次線は雪のため代行バスだった

(※1)三次から塩町駅付近を経て三良坂、吉舎に行く路線バスもあるので活用してほしい。

(※2)ピースライナーは新型コロナウイルス感染拡大のため5月21日から6月20日(予定)まで運休中。甲奴~世羅間のみ特別ダイヤで1日3往復運行されている。