地方ローカル線が好きで、平素はグリーン車はおろか指定席とも、ほとんど無縁の私がグリーン車の座席確保に必死になった。ただし「なんだこりゃ?」という結末が待っていて、さらには「勘違いしていたアクシデント」の追い打ち。それでも、そのおかげで思い出に残る行程にもなった。(訪問は9月20日)

ここからのリポートは10月14日から3回にわたってお届けした大糸線の続きである。9月17日から5日間の休みをとって、大糸線を乗車した後、福井に向かい越美北線に乗るため1泊。いったん自宅に戻った後、今度は伯備線乗車のため、20日の早朝に家を出た。新幹線を岡山で乗り換え、伯備線から出雲市経由で山陰本線を益田まで。当地で1泊して山口線を楽しもうというプランだった。

大糸線の際も紹介したが、利用したのは「西なびグリーンパス」。JR西日本全線5日間乗り放題で、うちグリーン車または指定席を8回まで利用できるフリーきっぷである。そして真っ先にこの3つの座席を確保した。中でも超重要なのは岡山~出雲市間の「やくも3号」。岡山駅のホームの端で、朝の8時前から、ずっと「その時」を待っていた。メインイベントの前に115系の湘南色や先頭改造車の連結など、岡山らしいものが見られて気分は高揚する。(写真1~3)

〈1〉まず最初に用意した3枚の指定券
〈1〉まず最初に用意した3枚の指定券
〈2〉貴重な存在になりつつある湘南色の115系
〈2〉貴重な存在になりつつある湘南色の115系
〈3〉岡山ならではの連結が見られた
〈3〉岡山ならではの連結が見られた

私が好きなのは地方ローカル線である。このような路線では特急のような優等列車は走っていないことがほとんどなので、新幹線や特急というのはローカル線入り口までの足。基本的には自由席で十分だ。ただこればかりは事情が違う。現時点では乗りたいグリーン車の圧倒的ナンバーワンが、やくもである。

やくもが走る伯備線について簡単に説明すると、瀬戸内側と日本海側を結ぶ陰陽連絡線ながら地味な存在だった路線が東海道・山陽新幹線の岡山延伸(というより山陽新幹線の最初の開通)で注目され、電化や一部複線化が一気に進んだ。ただ特急が走ることは想定していない昭和初期の路線。山中を走るレールは改良を加えても急カーブがあり規格は低い。そこで車両として指名されたのが、国鉄型特急381系。電化が完了した1982年からずっと使用されている。

「国鉄型」と書いたが、82年といえば国鉄時代なので当然のこと。すごいのは以降40年近く使用されていることだ。カーブの多い山中を行くための振子式であることが大きい。JR移管後、381系の自然振子式ではなく、他の方式に置き換えられる形で全国から淘汰(とうた)されていったが、やくもだけはそのまま残った。今年になって踊り子号で有名な185系が離脱したことにより、定期運用で唯一の国鉄型特急車両にもなっている。

ただ40年という歳月はいかにも長く、そろそろ新型車両が投入されそうである。早めの乗車体験が望まれる。1日に15往復もしている列車なのでハードルは低い。重要なのは1日4往復しかないパノラマグリーン車。前面展望が楽しめる。これは早いうちに体感しておかなければならない。

やくものグリーン車は1号車。岡山から出雲市に向かうと先頭車となるが、逆だと最後尾となる。こういうのは先頭でないと意味がないので事実上チャンスは1日4回。時刻表にちゃんとパノラマ車だと書いてある。8時5分岡山発のやくも3号の次のパノラマ車は13時5分と遅いので必然的に3号。さすがに2週間前でも最前列はとれなかったが、それでもなんとか5列目を押さえて、ようやく乗り込みである。ただ奥の留置線でかすかに見えるやくもはどうも様子が、と嫌な予感でいっぱいになっていたら…。(写真4)

〈4〉入線してきたやくも。これはどう見てもパノラマカーではない
〈4〉入線してきたやくも。これはどう見てもパノラマカーではない

これはどう見てもパノラマカーではない。ホームに撮り鉄さんの姿がほとんどなかったので、おかしいなぁ、とは思っていた。出雲市を4時42分に出て岡山に7時41分に着く車両の折り返しなので、その時点で分かったのだろう。何のために、この日があったのか、もうガッカリである。JRに抗議したいところだが、そんなわけにはいかない。時刻表にはちゃんと「パノラマ型でない日があります」と書いてある。付け加えると私のパノラマチャレンジは今回が2回目で2戦2敗。高き壁である。前回に続いて381系グリーン車を味わうだけで終わった。(写真5、6)

〈5〉グリーン車の座席は1対2となっている
〈5〉グリーン車の座席は1対2となっている
〈6〉扉部分に「国鉄」を感じる
〈6〉扉部分に「国鉄」を感じる

3時間を経て出雲市に到着。そしてこれは新幹線に乗る前に分かったのだが、私はとんだ勘違いをしていた。このころ山陰本線は8月に発生した大雨の影響による地すべりのため江南~田儀間の約10キロが不通になっており、何を思ったのか、すでに復旧していると思い込んでいたのだ(復旧は10月2日)。

ということで特急はこの先、浜田まで運行がなく、代行バスを利用すると益田到着も夕方になるため、山口線などのプランもなくなってしまったが、1度行ってみたかった駅で降りてみる。(写真7~9)

〈7〉出雲市駅は出雲大社をイメージした駅舎
〈7〉出雲市駅は出雲大社をイメージした駅舎
〈8〉地すべりによる運転とりやめの告知
〈8〉地すべりによる運転とりやめの告知
〈9〉出雲市からはキハ47で向かう
〈9〉出雲市からはキハ47で向かう

出雲神西(いずもじんざい)。前述した伯備線の電化に伴い、山陰本線の伯耆大山~西出雲(出雲市のひとつ隣)が電化された際に新たな車両基地を設置する必要が生じ、土地提供の見返りとして国鉄時代の82年に設置された比較的新しい駅で当初の駅名は地名にちなんで神西。これだけなら、わざわざ記すこともない話だが、90年に大社線が廃線となったことで状況が変わる。(写真10~12)

〈10〉出雲神西は1面1線の棒状駅
〈10〉出雲神西は1面1線の棒状駅
〈11〉出雲大社にちなんだ立派な駅舎を持つ
〈11〉出雲大社にちなんだ立派な駅舎を持つ
〈12〉駅前の観光案内図。出雲大社はかなり遠い
〈12〉駅前の観光案内図。出雲大社はかなり遠い

大社駅が消えてJRに出雲大社という駅名がなくなったのだ。今にして思うと廃線にしたら、そりゃそうだろうという感じだが(電鉄出雲市からの一畑電車には出雲大社前という駅がある)、当時は大問題となり、出雲市の費用で93年に当駅の駅名を出雲大社口に改称。駅舎も立派になったが、肝心の出雲大社までは10キロ近くあり、バス路線もない、タクシー代も高いと駅名につられて降りた乗客から苦情が続々。結局99年に現駅名に変更された。6年しか存在しなかった平成では珍しい駅を見ていると少し気分が切り替わった。【高木茂久】