日本最長の676キロにも及ぶ山陰本線で島根県から山口県にかけての益田~長門市間85キロは路線内で最も列車本数の少ない区間である。かつては特急、急行も運行され、途中には萩という観光地があるにもかかわらず、現在は通しで運転されるのは1日わずか5・5往復。そこに4、5本程度の区間運転が加わるだけの閑散区間となっている。ダイヤの薄い区間にある17駅を列車とバスという公共交通機関のみで訪問してみようと旅立った。(訪問は11月4、5日)
9月に次いで2カ月もたたないうちに再び益田駅に降り立った。前回は山陰本線で地滑りによる不通区間があり、益田到着が大幅に遅れたため、山陰本線の先の区間や山口線各駅の訪問予定が大幅に狂ったため、3日間JR西日本乗り放題の「どこでもきっぷ」を使っての再訪である。とはいっても到着時間には限度がある。新幹線を新山口で乗り換え、山口線を「スーパーおき」で駆けて益田到着は10時29分。(写真1、2)
益田駅は「ザ・国鉄」のコンクリート駅舎。多くの列車の始終着となる基幹駅だ。山陰本線については益田を越えて運行される列車は現在ない。必ず乗り換えが発生する。それは時刻表を見れば分かる。特急もあって随分にぎやかな浜田方面と比べ(とはいえ春のダイヤ改正でかなり様変わりする)、これから行く萩方面はかなり寂しい。ご覧の通り長門市行きは1日6本で他に東萩止まりが1本。特に9時台から17時台にかけての昼間はわずか1本だ。ということは13時11分まで2時間半待つのかというと、そうではない。向かったのは石見交通のバス乗り場。早速出発しよう。(写真3~5)
◆(バス)益田駅前11時12分→飯浦11時47分
飯浦駅へは1日6本のバスがある。10人以上のお客さんが乗り、盛況だった。益田の市街地を抜け、山中に入る。上り坂となり民家の姿が見えなくなる。山陰本線は近くを走っていると思われるが見えない。バス停の1区間が長くなってトンネルを抜けると飯浦の停留所だ。うーん、何もない。本当に駅があるのかと、ちょっと焦った。後で分かるが、飯浦の街は海の近くにあり、国道191号を行くバスはやや離れた所を走っている。もう山口県の県境に近いはず。とにかく駅へ向かおう。バス停から駅方面への道路に入ると民家が並んでいるが、駅は高台にあるようだ。自分で車を運転するのはちょっと怖そうな細いカーブの上り道の先に行くと駅があるはず。バス停から徒歩5分程度。(写真6、7)
だが、いきなりこの日のハイライトが訪れる。なんだぁ、これは。(写真8、9)
そこにあったのは駅名標や駅名板ではない。古い駅舎が解体されて簡易駅舎になるのは最近の流れだが、このパターンは初めて見た。駅舎の土台がくっきり残っているだけに、まるで「かつて駅がありました」というモニュメントだ。もちろんホームはある。高台の駅前広場からは海と街が一望できる。(写真10、11)
再びホームに戻ってひと休み。1面ホームの向かいは森となっていて待合所でぼんやりしていると、目の前の森で何やらゴソゴソ物音が。もちろん駅前広場を含め人は私しかいない。身構えると鳥が向かってきた。知識に乏しいが、とにかく巨大な猛禽(もうきん)類だ。「ヒーッ」。声を出しそうになった。営巣中に見知らぬ男を敵と認識したのか、私をかすめるように飛んできた。一目散に撤退である。時間は正午。真っ昼間に怖くなって駅から脱出したのは初めての経験。いろいろな意味で一生忘れない駅となった。ちなみに当駅は山陰本線が延伸する過程の昭和初期、1年ほど終着駅だったことを付け加えておく。
◆(バス)飯浦12時26分→小浜駅口12時32分
鉄道でいえば1駅戻る形となる。飯浦までのバスの一部は江崎港という所まで行き折り返してくる。益田からの運転手さんは若い女性の方で、もしかしてと思っていると、やはり同じ運転手さん。ふだんなら何とも思わないが、実を言うと乗客は還暦を目前とした私より確実に年上と思われる方ばかりだった。おそらく貴重な足であるバスは、いつも同じ方が利用されているのだろう。明らかに初めて見るオッサンが飯浦まで乗り、折り返すと今度は小浜駅口で降りていく。いったい何だと思われたのだろう。少し恥ずかしかった。(写真12、13)
5分ほど歩くと戸田小浜駅に到着する。飯浦とは違って立派な駅舎を持つ。現在は2面だが、元は2面3線だったようだ。駅舎側には行き止まりホームが残っていて、かつては貨物取り扱いがあったようだ。無人となっている駅舎にはコミュニティーセンターとJAが入居。JAは現在、ATMだけの営業だが、駅前の民家はかつて旅館だったのではないか、と思わせる造りで、かつて駅周辺はかなり栄えていたのではないかと思われる。(写真14~17)
◆(山陰本線)戸田小浜13時21分→江崎13時35分
ようやく午後の貴重な1本の運行時間となったので益田到着から3時間後にようやく山陰本線乗車となった。おなじみの「タラコ」である。飯浦では当然降りず、山口県へと突入。最初の駅が江崎である。旧田万川町(現在は萩市)の中心駅で急行停車駅でもあった。おそらく昭和初期の開業時以来の木造駅舎。駅舎からホームを覆う屋根に歴史を感じる。この日は休みだったが、ふだんは朝から夕方近くまで駅員さんがいるようである。
貴重なお昼の1本を降りたからには、しばらく列車は来ないわけだが、益田駅のバス時刻表にあった1日3本の須佐行きのうち1本に乗って須佐を目指す。ただこのあたりは国道と線路が離れているため、バス停までちょっと歩く必要がある。もちろん初めて降りた駅で初めて探すバス停で、ちょっと不安だが、とにかく歩いていこう。【高木茂久】(写真18~21)