このコラムの第1回では、岩手~秋田にまたがる八幡平の頂上付近にある「八幡平ドラゴンアイ」を取り上げました。9月になると、朝晩はすっかり冷え込む岩手県。秋が本格化すれば見事な紅葉が山を染め、やがて雪が降り、気温は一気に氷点下。春が来て雪が解ければ、再びドラゴンアイが現れます。


八幡平ドラゴンアイの見ごろは5月下旬頃
八幡平ドラゴンアイの見ごろは5月下旬頃

 めぐる季節とともに表情を変えていく八幡平。その山懐に季節を忘れ、時が止まった場所があります。八幡平頂上への道を進んでいると、標高約900メートルの高地に、突然出現する集合団地群。遠目であっても、そこに人々の生活の気配は全く感じられません。松尾鉱山跡と呼ばれています。


松尾鉱山跡の旧団地群
松尾鉱山跡の旧団地群

 見紛うことなき廃墟。この10棟を超える団地は「緑ヶ丘アパート跡」と呼ばれ、かつての栄華を想起させます。19世紀後半から始まった硫黄鉱石の採掘は、20世紀に入り本格化。太平洋戦争が終わり「東洋一の硫黄鉱山」と呼ばれた時代には、この鉱山町には学校も娯楽施設もあり、1万人を超える人が暮らしていたといいます。当時、鉄筋建築のアパートは県都・盛岡にもなかったと聞きます。


八幡平の中腹から見下ろす松尾鉱山跡(ミニチュア撮影)
八幡平の中腹から見下ろす松尾鉱山跡(ミニチュア撮影)

 しかしながら盛者必衰。エネルギー源の変化に伴い、1969年に倒産し、閉山。鉄筋コンクリートの建物だけが残り、現在に至ります。その経緯は、世界遺産になった長崎県のあの島と酷似。だから松尾鉱山跡は「陸の軍艦島」とも呼ばれます。本家・軍艦島と違い、気軽に近寄れるのがこの松尾鉱山跡。団地群への立ち入りはできませんが、間近での見学はできます。


よく見るとまだ窓枠が残っている団地群
よく見るとまだ窓枠が残っている団地群

雲上の楽園、と呼ばれたという鉱山町での生活はいかなるものだったのでしょうか。楽園、栄華といっても本州屈指の寒冷地。楽しみの何倍もの苦難があったはず。そんな時代に最前線で働いた先達の血と汗と涙が、日本を大きくしたのでしょう。廃墟とはいえ、敬意を払うべき風景です。【金子B】


「松尾鉱山跡」へ行くには?

 東北自動車道・松尾八幡平IC(盛岡から約30分強)を下りて20分少々。八幡平アスピーテラインの入口から上り、少し行ったところ(トンネル手前)を左折すると、すぐ着きます。アスピーテラインは例年、11月~4月頃は冬季通行止になります。


Wonderful View No.24 "The mine trace of Matsuo"


The mine trace of Matsuo is in the highlands of 900 meters above see level of North Iwate. It was called “the biggest sulfur mine of orient”, and over 10,000 people lived and worked there. It was closed in 1969, and only apartment group stays now as the ruins.

[DATA]

Address: Matsuo-yoriki, Hachimantai-shi, Iwate-ken

Access: About 20 minutes drive from Matsuo-Hachimantai IC, Tohoku highway

Parking: None