夏じゃないのに夏を感じる景色に、逃してなるものかと思った。交通量はほとんどないので、ブレーキをかけ、そのままバック。空と山と川が、それぞれ100%の発色で自己主張してくる景色に、二度と戻らない時間をしばし託す。初めて訪れた場所に、なぜだか「故郷」を感じる不思議。こういうのを「肌に合う」と呼ぶのだろう。


思わずブレーキをかけた高知・夏の景色
思わずブレーキをかけた高知・夏の景色

高知県の清流・仁淀川(によどがわ)をさかのぼる。「仁淀ブルー」と呼ばれるほど透き通った流れは、天気や光にも左右されるけれど、土地の醸し出す空気にスランプはない。広すぎず狭すぎず。仁淀川の谷間は絶妙なバランスを保ちながら蛇行し、流域あちこちを「絶景」へと引き立てる。中流域にあたる越知(おち)町では、特にそんな場所が多い。


越知町浅尾地区の風景。仁淀川には沈下橋が架かる
越知町浅尾地区の風景。仁淀川には沈下橋が架かる

浅尾沈下橋では親子連れが戯れていたから、渡りたい気持ちを抑え、仁淀をさらに上流へ。次の目的地・にこ淵へは少し遠回りになってしまうが、仁淀川町へ向かう。国内全市町村制覇を目指す身として、東京から遠くにあまり未訪地を残したくない。越知町から仁淀川町へは、国道33号を走る。仁淀川が並走してくれる。


高知市から松山市へつながる国道33号線
高知市から松山市へつながる国道33号線

右側がどうしても気になる。仁淀の対岸に斜面集落が迫る。そう緩くないであろう山の傾斜に、へばりつくような家々。四国の山あいでは決して珍しくない景色だが、これほど間近に見える場所はそうない。トンネルを1本、2本と抜けるうち、この斜面が少しずつ近づいてくるように思えるのは気のせいか。


清流・仁淀川と斜面集落が共存する風景
清流・仁淀川と斜面集落が共存する風景

仁淀の流れを正確になぞるように、土佐街道がくねる。斜面が近づいているのは、どうやら気のせいではない。視界の端にうっすら映っていた斜面集落が、確実に視界内で一定の存在感を出し始めた。何かがある、何かが起きる。第六感が働く。右側の斜面はどんどん近づき、しまいにはカーブし、正面にまで寄ってこようとしている。


そして、私の背筋をゾクッとさせた。仁淀川に架かる鉄橋があった。対岸には、さっきまで並走していた斜面集落が正対して存在し、そのふもとにぽっかりとトンネルを開く。まるで、山の中に飛び込んでいくかのような感覚。鉄橋には「仁淀川町」の看板が掲げられる。この鉄橋とトンネルが、清流の名を冠する仁淀川町の入口。私には「異世界への入口」にしか見えなかった。


鉄橋を渡り、斜面集落のトンネルへ飛び込んでいく景色
鉄橋を渡り、斜面集落のトンネルへ飛び込んでいく景色

何かに例えるならば、ラヴェルの名曲「ボレロ」。同じメロディーが、異なる楽器の音色で次々に奏でられ、音量も少しずつクレシェンドに。そして高まる予感のうちに、最後に迎える大団円。仁淀川町の入口はボレロと同じような、ストーリーのある絶景だった。


トンネルの向こうの町は、川が依然美しい以外は特にインパクトはない。異世界でも何でもないのに、トンネルに入る前にわずかに感じた「未知への恐怖」がワクワク感を増長させてくれた。日本全国津々浦々をドライブしたが、この感覚を味わった場所は他に1つとしてない。あの北海道・オロロンラインでも味わえなかった感覚。WEB検索しても、ここの話題や写真は1つもない。100人がここを通っても、何かを感じるのは私だけかもしれない。それならそれでもいい。「仁淀川町の入口」は、私にとって日本一の絶景だ。【金子真仁】