トップアスリートやシンガー・ソングライターらが相次いで闘病を公表した「白血病」-。血液のがんであるこの病気の発生率は、年々上昇しているといいます。その病因は不明のケースが多く、検査、治療も長期間に及びます。米国の血液内科マニュアルを独学で修得した、自称「さすらいの血液内科医」、東京品川病院血液内科副部長・若杉恵介氏(48)が「白血病を知ろう!」と題して、この病気をわかりやすく解説します。

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わたしは、もともとは歴史学志望でした。今日は白血病の歴史について、お付き合いください。

19世紀半ばにドイツの病理学者ウィルヒョウが、恐らくは慢性骨髄性白血病と思われる患者に関して記録を残し、血液がうみのように白くなることから「白血病」と名付けたとされています。推測ですが、白血球が検査上、数十万から百万(マイクロリットル=100万分の1リットル)以上だったのではないでしょうか? 本当に「白くなる」には相当の数が必要。実際には白くなった人には、会ったことはありません。もちろんそれ以前から白血病の患者さんはいたと思いますが、顕微鏡もない時代に診断や分類することは困難でしょう。

急性白血病に、いわゆる抗がん剤が本格的に使われ始めるのが、1960年代。治療で一時的に落ち着くのですが、すぐに病気が勢いづいてしまうという時代が、しばらく続きました。薬の組み合わせの工夫や、支持療法と呼ばれる輸血療法や感染症治療の進歩で十分な量の抗がん剤を使うと、しだいに長生きできるようになります。

また、骨髄移植に関しても医療技術の進歩により、80~90年代に現在の基本となる方法論が確立されました。通常の治療では治癒が期待できない患者さんに、施行される状況となっています。というわけで、急性白血病の治療といえる状況になったのは、80年頃から。歴史としては、まだ40年くらいです。

急性白血病の最初に行われる、抗がん剤の組み合わせ治療=寛解導入療法は00年ごろに確立。急性白血病にとって、最初の寛解導入療法の成功率は、合併症がない若い年齢層なら80~85%程度になります。それ以降も播種(はしゅ)性血管内凝固障害の対応や感染症対策の進歩など、さまざまな工夫がされています。この数値が低いと感じる方もいるかもしれませんが、悪性疾患としては非常に高い数値です。

問題は寛解後の再燃、再発が半数以上に見られる点で、白血病の創薬と治療技術開発は、今、そこに集中されています。

◆若杉恵介(わかすぎ・けいすけ)1971年(昭46)東京都生まれ。96年、東京医科大学医学部卒。病理診断学を研さん後、臨床医として同愛記念病院勤務。米国の血液内科マニュアルに準拠して白血病治療をほぼ独学で学ぶ。多摩北部医療センターなどを経て、18年から現職の東京品川病院血液内科副部長。自称「さすらいの血液内科医」。趣味は喫茶店巡りと読書。特技はデジタル機器収集。