「あれは地獄のホラー映画でした」。

 ロッテ西野勇士投手(26)には、網膜に焼きついて離れない光景がある。

 まだ育成選手だった12年秋。当時の育成メンバー5、6人で牛丼チェーンに出掛けた。並んで食事していると、1人の携帯が鳴った。まもなく、顔が青ざめた。「おれ、クビだって」。

 すぐに別の携帯が鳴った。また青ざめる。さらに別の携帯が。順々に、球団から来季契約を更新しない旨を告げられた。もう牛丼の味などしない。「次は自分の番だ-」。覚悟を決めた。だが西野の携帯だけは、静かなままだった。

 「リアル『着信アリ』ですね」。迫り来る戦力外通告の恐怖を後日、某ホラー映画に例えた。西野はマウンド度胸を高く評価されており、12年11月に支配下昇格。翌年2月、キャンプ明けの練習試合から1軍に合流すると、とんとん拍子でこの年、チームトップの9勝を挙げた。

 当時は運転免許もなく、浦和寮から電車通勤しながら、たくさんの「史上初」を塗り替えた。育成出身初の初先発初勝利、初の1試合2ケタ奪三振。交流戦では広島前田健太(現ドジャース)にも投げ勝った。14年からはクローザーに転向。空振りを量産するフォークを武器に、侍ジャパンの守護神まで上り詰めた。

 背番号は131→67→29と若くなり、16年には1億円プレーヤーの仲間入り。年俸は1年目の240万円から40倍以上に跳ね上がった。これぞシンデレラボーイ、と思った。

 「でも活躍は続けないと意味がない。僕は去年、仕事ができなかった。あの時は『こわい』って思いましたけど、やっぱり蹴落とさないと自分も残れないし、そういう意味ではあの牛丼屋が教訓になった。競争なんだっていうのをすごく感じました」。

 先発に戻った昨季、開幕ローテ入りも右肘痛で早期離脱。靱帯(じんたい)を損傷していた。再起をかける18年。年末の納会では井口監督にお酌しながら「やりたいっていうより、先発をやるつもりでいます」と宣言した。

 今月22日、中日との練習試合に先発した。相手の若手選手の中には、西野が1軍で投げていたことを知らない選手もいた。4年活躍して、第一線から離れたのは1年だけ。それでも試合に出なければ忘れられていく。そういう世界だ。その厳しさを、西野は7年前のあの日、痛感した。

 08年ドラフトでロッテが指名したのは支配下選手が6人、育成選手が8人だった。今チームに残っているのは育成5位の西野と、同6位の岡田。2人だけだ。「今年は、しっかりやります。まだまだこれからですけど」。

 13年の1軍合流初日、取材されることにも不慣れで、小さな声で答えていたのを覚えている。「着信アリ」にならなかった当時二十歳の青年は、あの教訓を胸に、今日も戦っている。【ロッテ担当 鎌田良美】