ナゴヤドームから遠く離れた宮崎でこの記事を書いている。シーズン最終戦は必ず球場で取材してきた。節目であり、野球記者としてのけじめだと考えているからだ。自分は、なぜ、ここにいるのか。それはいまも分からない。金本監督を追い続けた立場として後ろ髪を引かれる思いで後任監督人事の現場で取材する。

これを書いたら監督は怒るだろう。でも、あえて書く。10月に入ってから話す機会があった。最下位が現実として迫り、SNSで批判が殺到していた。進退が問われる時期だ。辞任もちらつく。失礼を承知で心境を聞いた。15分くらいたっただろうか。監督は不意に言うのだ。「俺だってな、逃げたいよ…」。言葉が途切れた。声はかすれた。「逃げたいさ…。でも、逃げれんやろ…」。選手がいる。ともに戦っているコーチがいる。背負っているものの重さが突き刺さった。

監督は容赦なく殴られてフラフラでも、それでも立とうとしていた。負けたから退くことだけが責任の取り方だと思わない。負け続けて、なおも、退かずに戦おうとする姿に心を揺さぶられた。来年も指揮を執る-。僕がそう感じた瞬間だった。育成は一筋縄でいかない。勝った、負けたと短絡的な視点にとらわれているようでは、このチームは、いつまでたっても強くはならないだろう。この1年間の最下位の責任を取って辞める監督の無念を思う。

4月の遠征中だった。バーのカウンターでワイングラスを傾けながら、監督がボソッと言った言葉が印象的だ。「俺な、究極は、いつか生え抜きの選手だけで優勝したいんよ」。希望あふれ、快活に話していた。超変革、厳しく明るく、執念…。またいつの日か、ユニホームを着た監督に野球の話を聞きたい。【阪神担当キャップ=酒井俊作】