阪神にトレードが決まった中日・大豊泰昭(右)と矢野輝弘(1997年10月15日撮影)
阪神にトレードが決まった中日・大豊泰昭(右)と矢野輝弘(1997年10月15日撮影)

同じ境遇に立たされた者にしか分からない思いがある。阪神矢野燿大監督の反骨心に触れたのは1月中旬だった。巨人にFA移籍した丸の人的補償で広島側から指名された長野久義が話題だ。ひとしきりカープの戦力を警戒したあと、自ら切り出して、こう言った。

「あとは、気持ちの変化が出るのよね。俺もトレードで出てそうだったけど、長野も絶対に表向きのコメントと内面の思いって、まあまあ、100%一致していると思えない。自分を振り返っても。『クソーッ』とか『見返す』という気持ちは持っていると思う。そういう部分でも嫌やな」

22年前の自分を見る思いだろう。97年10月、中日矢野は大豊とともに阪神へのトレードを通告された。戦力構想から外された屈辱を味わっていた。だからこそ、昨年12月、阪神にFA加入した西の人的補償で、オリックスに移籍していった若き右腕の竹安に伝えた。

「俺も『(監督だった)星野さんを見返したい』とか『中日に負けるか』と思って逆にパワーをもらって頑張れたところもあった。どうとらえ、どうしていくかで竹安にとって大きなチャンスになるかもしれん」

阪神矢野は移籍をバネにはい上がり、正捕手の座をつかんだ。当時、選んだ背番号は中日時代の38から1つ増えた39。「中日のときより1つ上に行く」という理由は有名な逸話だ。トレードと人的補償は違うが、疎外感や無力感など複雑な感情が渦巻く。長野の潔いコメントは周囲から絶賛されたが、矢野監督は元捕手らしく、人生の岐路に立つ男の胸中に思いをはせた。【阪神担当 酒井俊作】