改めて、野村克也さんの言葉が染みました。何げなく手にした著書「野村ノート」。18年4月に静岡支局から野球部へ異動になった際、野球記者になるからにはと思って読んだ1冊でした。

縁あってヤクルト担当となり、野村さんに直接お話をうかがう機会を経て、もう1度読んだ言葉の印象は違ったものでした。「監督は『気づかせ屋』でなくてはならない」「人間の最大の悪はなんであるか。それは鈍感である」「人間学のないリーダーに資格なし」。並んだ厳しい言葉は、自分にも向けられたもの。周囲の人への愛にあふれた方なんだと。

最後にお会いしたのは1月20日、ヤクルトのOB総会。登場はサプライズでした。息子の克則楽天1軍作戦コーチが押す車いすに乗り現れた瞬間、場の雰囲気が変わりました。OBの方が次々と足を運び、記念撮影は順番待ち。マイクを持つと、会場は静かになりました。「しばらくヤクルトの優勝を聞いていません。なんとか今年、高津監督の下でぜひ優勝してほしい。陰ながら祈っております。6球団で飛び抜けたチームはない。ちょっと頭をひねれば、優勝できるチャンスがある。野球は頭のスポーツです」。愛弟子への激励メッセージでした。

帰路につく前に、克則コーチが車いすを止め囲み取材を受けてくれました。記者に対しての気配りを感じました。第一声は「懐かしい顔ぶれを見て…懐かしかったなぁ」。穏やかな表情でした。「長いヤクルトの歴史の中で、優勝して。いい時代だった。私はもうすぐあの世へいきますけど、その節はよろしくお願いします」。その言葉を聞き、思わず首を横に振りました。訃報をキャンプ地の沖縄・浦添で聞いたのは約3週間後、2月11日でした。

「ヤクルトを抜きにして、私の野球人生は語れない」と話していました。逆もしかりで「野村監督を抜きにして、ヤクルトは語れない」と言えます。高津監督はじめ、教えを受けているコーチ陣が今、さらに選手たちへ思いをつないでいます。3月22日阪神戦(神宮)で予定されていた追悼試合は、延期に。今の状況を、野村さんならなんと語るのでしょうか。野村ノートの一節が浮かびました。「思考が人生を決定する」。【保坂恭子】