昭和~平成初期の雄々しい時代をくぐり抜けてきた田村藤夫氏(60)が、自身の経験と重ねながら金の卵たちにエールを送る。

今季から日刊スポーツの評論家になり、キャンプではロッテ佐々木朗希投手、ヤクルト奥川恭伸投手の立ち投げを見て、これから出てくるであろう18歳の息吹を感じた。

プロ1年目の2月にヤンキースのキャンプに招待された18歳の田村藤夫(右端)。左端の背番号「8」はヨギ・ベラコーチ(本人提供)
プロ1年目の2月にヤンキースのキャンプに招待された18歳の田村藤夫(右端)。左端の背番号「8」はヨギ・ベラコーチ(本人提供)

42年前、私が18歳の時はどうであったか。ネットには多少時期がずれた情報が出ているが、記憶だと、関東第一を卒業する直前の2月中旬、米フロリダ州フォートローダーデールでヤンキースのキャンプに参加させてもらった。当時、日本ハムはヤ軍と業務提携を結んでおり、新人選手が育成の一環としてメジャーのキャンプに参加するのは初の試みであったと覚えている。

当時の小島武士球団代表に付き添っていただき、私ともう1人が2A、ルーキーリーグを経験させてもらった。通訳はいない。メジャーのキャンプでは、気性の荒いことで有名だったビリー・マーチン内野手、のちに航空機事故で亡くなるサーマン・マンソン捕手、「ミスター・オクトーバー」の異名を持つレジー・ジャクソン外野手、ロン・ギドリー投手、背番号「8」がヤ軍の永久欠番となるヨギ・ベラ捕手(当時はコーチ)らと練習をした。

何人かのメジャーリーガーが励ましてくれたのを覚えている。もちろん、英語は話せなかった。それでもルーキーリーグで試合に出ながら、何とか溶け込もうと必死になっていた。あの時の感情がよみがえってくる中で、目の前で必死に投げる佐々木朗や奥川を見ると感慨深い。彼らはこれからプロ野球で活躍し、メジャーへ羽ばたいていくのかもしれない。

野茂英雄が海を渡ってから、特に投手はメジャーで活躍を続けている。野手もイチロー、松井秀喜らが大活躍して、日本プロ野球のレベルを証明してくれた。捕手はどうだろう。城島健司が06年から4シーズン、マリナーズでプレーしたのが最後となっている。

メジャーからプロ野球に来る捕手も極めて少ない。ロッテのディアスがマスクをかぶっていたが、本来のポジションとして来日し、捕手を務めた選手は1980年代以降では記憶にない。それはどうしてか?

捕手に対する日米での考え方の違いが根底にあると感じる。私の認識では、メジャーではボールを後ろにそらさないことが捕手像として最優先されていた印象だ。リードやキャッチングよりも、変化球ならば確実に体で受けて前にこぼすこと。そして、強肩で強打。こうした能力が求められているのではないか。

日本のプロ野球では、野村克也さんによって、捕手のリード面が大きく評価される時代になった。巧みなキャッチングだけでなく、作戦面で果たすリードの役割は非常に大きい。対してメジャーでは、サインはベンチや投手から出ることが多く、こうした側面も求める捕手像の違いを鮮明にしていると考えられる。

投手の調子、性格、対戦するバッターとの相性、試合状況などを総合的に判断して最良と思われる配球をするのが、捕手の大切な役割だと考えている。いつの日か、プロ野球で育った捕手がメジャーで投手をリードし、頭脳面での評価を受ける時代が来ることを期待したい。(この項おわり)