くじけても、そのたびに立ち上がってきた。だから、慶大・生井惇己投手(4年=慶応)は強くなった。「なかなかうまくいかないなと思った4年間だった。でも、折れなくなったと思います」と爽やかに笑う。

11月6日、東京6大学野球秋季リーグ戦での対戦後に早大・蛭間(右)と記念撮影する慶大・生井
11月6日、東京6大学野球秋季リーグ戦での対戦後に早大・蛭間(右)と記念撮影する慶大・生井

人生を左右する1敗になった。4年間で27試合に登板し0勝1敗。この1敗が20年秋の早慶戦2戦目だ。「これから先も忘れないのはあの早慶戦。あれがあったから、今がある」。2-1で迎えた9回2死一塁、初球を早大・蛭間拓哉外野手(4年=浦和学院)にバックスクリーンへ運ばれ逆転2ランを浴びた。つかみかけていた優勝を逃し「先輩の代を終わらせてしまった」。食事も喉を通らない。声をかけてくれたのは、ヤクルト入団が決まっていた木沢尚文。「ここで終わりじゃないぞ」と何度も言ってくれた。

蛭間とはバチバチのライバル関係…ではない。今秋の早慶戦後、2人は笑顔で2ショットを撮影した。慶大・山本晃大外野手(4年)が浦和学院で先輩というつながりで、1年の頃から食事にいく仲。どれだけ野球に熱い思いで取り組んでいるか、知っている。西武ドラフト1位の蛭間について「彼を抑えたいという気持ちで練習してきた。目標として掲げてきた人ですね。今は、どちらかというとファンみたいな感じなんですけど(笑い)」。

木沢ら先輩の存在もあり、プロ入りを目指した。今春リーグ戦の5月2日法大戦の9回に中継ぎで登板。2球目の直球を投げた時「プチン」と左肘から音がした。激痛が走ったが、1アウトは取ろうと唇をかんで投げた。でも、ボールが捕手まで届かない。0/3、4球で降板。ベンチで涙があふれた。「プロに行けないではなくて、野球ができなくなる」という恐怖感に襲われた。診断は、靱帯(じんたい)の断裂。数週間後に、トミー・ジョン手術を受けた。指を動かすところから、リハビリを始めた。

5月1日、春季リーグ戦の法大戦で力投する慶大・生井
5月1日、春季リーグ戦の法大戦で力投する慶大・生井

自分で退寮を決め、覚悟を持って前に進む姿は、仲間に勇気を与えた。今秋は、山本らチームメートから「ベンチにいてほしい」と頼まれ、リーグ2戦目からボールボーイに。「きつかったです。ランニングメニューをやっているみたいで(笑い)。背番号はないですけど、グラウンドでみんなと同じユニホームを着て、うれしかったですね」。

最近は、10~15メートルのキャッチボールが楽しい。試合復帰は、来年の夏を目指す。投げられない状態でも、社会人の強豪、日立製作所が声をかけてくれた。「日立さんで都市対抗優勝が目標。その一心です。その先に次のステージがあったらうれしいですけど、何より日立さんに恩返しするのが1番です」。生井はもっともっと、強くなる。【保坂恭子】

◆生井惇己(なまい・じゅんき)2000年(平12)7月25日生まれ、茨城県下妻市出身。常総シニアから慶応へ。1年秋からベンチ入りし、3年春のセンバツは初戦の2回戦で、慶大でチームメートになる彦根東・増居翔太投手と投げ合い敗れた。3年夏も甲子園出場。慶大では1年秋にリーグ戦デビュー。通算27試合に登板し、防御率は2・88。尊敬する人は両親。176センチ、81キロ。左投げ左打ち。