2008年(平20)4月26日、平成元年生まれのプロ野球選手が初めて勝利投手になった。当時18歳のロッテ唐川侑己投手(29)はソフトバンク戦(福岡ヤフードーム、当時)で7回を3安打5奪三振無失点に抑え、初登板初勝利と華々しくデビュー。完投勝利、完封勝利も「平成生まれ初」の記録を持つ。いよいよ幕を閉じる平成。今季はセットアッパーとして8回を任される物静かな右腕が語った。

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印象に残っている試合は、やっぱり初勝利。すごく緊張した記憶と、今までテレビで見ていた人たちと対戦している高揚感。初三振が先頭の川崎さんで、松中さんや小久保さんがいて。ずっとふわふわした感じでした。家族がすごく喜んでましたね。お父さんが一番喜んでくれたんじゃないかな。使ってくれたボビーに感謝してます。

平成生まれとして注目されて。でも特に何も感じてなかった。1個上に早生まれの人いなかったんだ、くらい。「ビッグ3」も、その2人の中に入れてくれるなと思ってました。片や甲子園で150キロ超を出して(佐藤由規)、中田も高校通算何十本もホームラン打ってて。2人とも有名で、名門校で、同じくらいの力があるとは思わなかった。当然ね、負けたくないっていう気持ちはあったと思いますけど。それよりも一緒に並べてくれるなと(笑い)。

小さいころから近くで見ていて、成田高校には自然に入るものと思ってました。ターニングポイントは高1の夏休み。中学までって何となく野球、やるじゃないですか。楽しいし。夏に負けて新チームになって、練習試合で東海大相模にめちゃくちゃに打たれたんです。挫折っていうか、悔しくて。うまくなりたいと思って、ちゃんと野球をやるようになった。その時の相模には田中大二郎さん(巨人スコアラー)や田中広輔(広島)がいました。

プロ1年目の時、負けて結構引きずってたことがあって。清水直行さんに言われたのが「悔しがってもいいけど、落ち込む必要はない。その姿を他に見せるな」。なるほどって思ったんですよ。

高校卒業して初めて、負けても次がある試合をしていた。だから納得したというか。18歳の少年が、当時のエースの人に掛けてもらった言葉は支えになりました。考え方が分からないと、ぐらぐらするじゃないですか。「次があるから」って、切り替える方向に最大限のベクトルを向けられるようになった。とはいえ、伊東監督の時(15年)、開幕1軍に入ったのに1試合投げてすぐ抹消されたことがあって。その時は悔しいし情けないしで…言い出したらきりないですけどね。

ずっと先発をやってきたので、今のポジション(8回)は想像してませんでした。大丈夫かなと。でも去年の8月、井口監督が直接「中継ぎで」と言いに来てくれたんで、やってみようって。先発だと1週間のうち6日間、気を抜いてても1日にガッと出せばいい。それが毎日なんで、試合に入ることが非日常から日常になった感じですね。より自分でオン、オフを付けないといけなくなりました。

年下も増えて、今年で30歳。人が劇的に変わることはないと思うので、積み重ねを大事に、地に足着けてやっていくことが大事と思います。長くはやりたいですね。若い時はそんなの思ったこともないですけど、プロ生活も10年超えて、いろんな人を見るようになってから、できるだけ長くと思うようになりました。

いつか令和元年生まれの初勝利が出たら、平成の時は唐川だったって名前が出る。その時、なるべく「誰これ?」ってならないように、頑張るしかないですね。少しでも多くの人に「ああ、あの唐川ね」って思ってもらえるように。(千葉ロッテマリーンズ投手)