1980年(昭55)7月。神奈川大会は波乱含みだった。秋と春の神奈川大会を制した東海大相模が、思わぬ形で姿を消した。2回戦で、監督がエースに手を上げた場面が地元テレビに映った。批判が相次ぎ、紆余(うよ)曲折の末に出場辞退となった。

 2年連続の甲子園を狙う横浜商(Y校)は、4回戦で桐蔭学園に敗れた。横浜高は、どちらかと決勝で争うと踏んでいた。ライバルが消え、順調に勝ち進んでいった。大会中、愛甲は願を懸けてヒゲをのばしていた。好きな清涼飲料水を絶ち、左肩に肩当てをして就寝していた。

 愛甲 1年は準々決勝、2年は準決勝でノーヒットノーランをやった。だから、よく「今年は決勝だね」と言われたけど、自分はどうでもいいから、とにかく勝ちたかった。

 桐蔭学園との決勝戦は、のちに近鉄に入る近藤章仁と投げ合った。2-0で完封勝利を収め、2年ぶりの甲子園行きを決めた。試合後のインタビューで、愛甲は「1年の時はマスコミの人に騒がれてオドオドしたものだが、3年になった今はもう慣れた。甲子園に行ってもインタビューは堂々と答えられますよ」と、2年前との違いを強調した。

 甲子園に乗り込む直前、神奈川県庁を表敬訪問した。ここで監督の渡辺元が「優勝して帰ってきます」と宣言した。

 渡辺 結果的に途中で負けてもいい。だが、優勝すると目標を持って甲子園に行くかどうか。それが名門校との差だと思っていた。だから優勝を宣言した。選手たちにも「決勝まで帰れないから親の顔をよく見てこい」と言って自宅に戻した。「目標がその日その日を支配する」という言葉を言い始めた頃です。

 愛甲 いきなりの優勝宣言でビックリしたよ。違う目標を言えないから、オレも「優勝します」と話を合わせた。本当は国体に出られるベスト8には入りたいと話していた。それなら夏休み中に車の免許を取りにいけるかなと話していたぐらい。でも、2年前と違って兵庫の宿舎でも外出禁止だった。監督が本気で勝ちにきていると伝わってきた。

 目標に向けて、甲子園で快進撃が始まる。

 ◆1回戦 8-1高松商 愛甲は大会1号となる先制アーチ。投げては8回2/3を6安打1失点。

 ◆2回戦 9-0江戸川学園 愛甲は7回を投げ2安打無失点。打撃では2安打1打点。

 ◆3回戦 1-0鳴門 愛甲は9回を投げ5安打無失点。0-0の9回に安西健二が三塁打を放ち、相手の守備が乱れる間に決勝点を挙げた。

 ◆準々決勝 3-2箕島 愛甲は9回を投げ7安打2失点。打撃では1安打1打点。

 ◆準決勝 3-1天理 愛甲は9回4安打1失点。雨で中断するなど、雨天コールドの可能性もある中で逆転勝ち。

 愛甲 天理戦は負けたと思った。リードされていた7回の攻撃中に審判が「降雨コールドもある」と言ってきた。オレはあきらめて、投球練習もしていなかったからね。

 準決勝は第1試合だった。第2試合は雨で翌日に持ち越し、横浜高は決勝まで中1日となった。

 当時の日刊スポーツは「横浜愛甲投手には恵みの雨と言えるかもしれない」と記事にしている。だが、愛甲の感想は正反対だった。

 愛甲 オレにはマイナスだった。1日空いて余計に疲れが出てしまった。

 この疲れが、ドラマを生んだ。(敬称略=つづく)

【飯島智則】

(2017年5月20日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)