日刊スポーツのネットサイトで高原寿夫編集委員が書くおなじみのコラム「高原のねごと」、特別版として紙面にも掲載します。広島3連覇の“立役者”だった「優勝くん」が密かに旅立っていた秘話です。

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フレンチブルドッグの「優勝」くんを覚えている野球ファンも多いのではないでしょうか? 緒方孝市氏(日刊スポーツ評論家)が広島監督として3連覇を果たしたとき、緒方氏にとって最大の癒やしとして“活躍”したワンちゃんです。

その優勝くんが信じられないようなタイミングでこの世を去っていたことはほとんど知られていません。

会見で辞意を表明する広島緒方孝一監督(2019年10月1日撮影)
会見で辞意を表明する広島緒方孝一監督(2019年10月1日撮影)

緒方氏が4連覇を逃し、監督の立場から引くことを決意。辞任会見を行ったのが19年10月1日でした。優勝くんは、まさにその日、使命を終えたかのように旅立ったといいます。

こちらも少し前にそのことを教えられ、絶句しました。当時、緒方氏はこんなことを話していました。

「他の人からすればイヌのことじゃないか、と思うかもしれませんけど。ボクたちにとっては家族だし、ボクからすれば本当に末っ子のような感覚でいました。それがあんなタイミングで亡くなるなんて…」

それまでも優勝くんのかわいさについて「もう分かったよ」と言ってしまうほど聞かされていたので、そのときの緒方氏の落ち込みぶりは痛いほどでした。

これまで読者に伝えるのも遠慮していたのですが、今回、緒方氏が指揮官時代を振り返った著書「赤の継承 カープ三連覇の軌跡」(光文社)を出版するのに際し、優勝くんのことについても触れているので書きたいと思います。

緒方氏がペットショップで「かわいい。ほしい」と衝動的に優勝くんを手に入れたのは16年5月です。そこから緒方カープは上昇気流に乗り、18年まで3年連続でセ・リーグを制覇。これは巨人以外、やったことのない偉業でした。

もちろん必死の思いで頑張ったのは選手ですが、チームをときに厳しく、ときに会話を重ねながら引っ張ったのは緒方氏でしょう。その心労がもっとも癒やされたのは広島市内の自宅で優勝くんを抱くときだったと言います。

優勝くんを抱く緒方孝市氏
優勝くんを抱く緒方孝市氏

「自分の人生を振り返れば思わぬタイミングで出会いと別れがありました。『優勝』との出会いと別れも本当にいろいろ考えさせてくれます」。緒方氏はしんみり話します。

17日は阪神・淡路大震災から26年の節目でした。生きるということ、そして別れとは。逃れられない定めのようなものを感じる特別な日に、優勝くんのことを記しておきたいと思います。【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「高原のねごと」