カナノウに敗れ、甲子園を去った18年8月18日。あの日は完全アウェーだったと2人は振り返る。だからこそ、1年後に戻った甲子園で見た景色と歓声は格別な物だった。

19年8月11日。あの日の大甲子園の姿は、今も鮮明だ。2ランスクイズで負けた夏から358日。初戦から強豪・東海大相模(神奈川)と対戦した。試合の観衆は4万4000人。大観衆が近江高校を、林と有馬のバッテリーを待っていた。林は興奮気味に振り返る。「マウンドに上がった時鳥肌たちました!(甲子園に)戻ってこれると思ってへんかったんで、超満員の中で自分が投げているということに鳥肌が立ちました」。

青空の下、グラウンドに飛び出してきた近江ナインを包んだ歓声が、今も耳に残る。「(観客)全員拍手で。カナノウの時は逆だったんですけど、相模の時はそれが逆で自分たちが拍手してもらえて」。試合は中盤に5点を奪われ劣勢。8回に近江が2死満塁好機をつくり、打席には有馬。口笛が飛び交い、拍手がはじける。球場の盛り上がりは最高潮だった。有馬は「自分は8回2死満塁が一番楽しかったです。あんなに応援してもらうこともうないよなってくらいの応援でした」。1球ごとにどよめく大歓声。押し出し四球で1点をもぎ取ると、割れんばかりの大歓声に包まれた。

得点はこの1点にとどまり

1-6で敗戦。当時は涙もこぼれたが、引退から約5カ月。この試合を振り返る2人の声色、表情には明るさしかない。1年前、完全アウェーだった聖地はまぎれもなく自分たちの味方だった。「おかえり」とでも言っているかのように、包んでくれた聖地の観衆の温かさが、負けの記憶以上に強く脳裏に刻まれている。

もうすぐ春がやってくる。林は、18年の甲子園で歴代最高打率の7割6分9厘を残したチームメートの住谷湧也内野手(18)と、社会人野球の強豪・西濃運輸へ進む。「プロに行くという気持ちで3年間やっていこうと思っています。野球をやりたくないって思うまで諦めたくないと思っているので、挑戦し続けられる限りやりたいと思っています」。

有馬は、昨秋の神宮大会で準優勝した関大へ。「自分は(プロ志望届を)出す覚悟もなかった。その覚悟を決める4年間だと思ってやっていきたい」。既に始まっているオープン戦で早くも出場を果たした。

互いに目指すのは数年後のプロ入り。林が目を輝かせて聞いてきた。「もし(自分たちが)一緒の球団になったら話題性ありますよね?」。きっと間違いない。常にクールな有馬も「何があるかわからないですよね…」と林が描いた未来に思わず顔をほころばせた。もし、またこのバッテリーが結成されたら…。きっと、どんな球場でも歓声と拍手が迎えてくれるだろう。【望月千草】

(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)