ロッテ佐々木朗希投手(18)の投球を初めて見た人は、一様に驚いていた。2月、石垣島キャンプ。球団、球界関係者たちは「この速さを高校生が普通に捕っていたのがすごい」とうなり「大船渡の捕手の子、どこで野球を続けるの?」と興味津々の様子だった。

160キロを捕る高校球児は、普通の若者に戻った。大船渡(岩手)の正捕手だった及川恵介さん(19)は今、陸前高田市の実家に一時帰宅中だ。この春、故郷を離れ進学したが、コロナ禍でキャンパスでの通常講義が再開されていない。

髪は少し伸びたが、体形は変わっていない。「朗希」「恵ちゃん」と呼び合う幼なじみの2人は昨夏、全国で最も注目されたバッテリーだった。明かされた真実は、意外なものだった。「野球は…やめました」。

160キロの剛速球にも、ミットは微動だにしない。二塁送球も1・9秒台。評判の好捕手だったのに、なぜ。「自信がないんです。160キロ捕れる能力があるからいい選手、というのは違うと思いますし。大学野球はやっぱりレベル高いし、県内でうまかったからとかはあまり関係ないのかなと思います」と冷静に話した。今は友人に声を掛けられた時、たまに気軽に白球を追うくらいだ。

自信がないんです-。言葉を文字にすると、自虐的にも読める。実際は謙虚で、素朴で、丁寧で。強いプレッシャーの中で投げていたエースが、大きな信頼を寄せていたことがひしひしと伝わる好青年だ。ただ、キャッチング技術に関しては「それだけのことはやってきましたから」と自信を少しのぞかせる。突き指した記憶もないという。

高校野球を振り返る。「朗希がいたから、甲子園に行けそうって思える中で高校野球ができて良かった」としみじみ話す。いくら練習しても怖さはあった。2年秋はショートバウンドのスライダーを2度止めきれず、それが致命傷となり、センバツ出場を逃した。

1年前には口に出せなかった。「ランナー三塁での変化球は、勇気が必要でした」。140キロを超えるスライダーと、140キロに迫るフォークボール。三振を狙うなら、ショートバウンドも必要な時がある。「足とかに当たって痛いならいいけど、投球をそらして点が入って、朗希が自分の投球ができなかったり、負けるのは明らかに捕手の責任なので」。時に勇気を振り絞り、希代の速球投手を支えてきた。

岩手大会決勝で敗れ、一丸となって目指した甲子園の夢は消えた。直後の感情も覚えている。「終わってみて、練習試合や練習のたびに悩んでるというか…どうやったら打てるか、勝てるかを悩んでいたので、考えなくていいって思いはあったので、やっぱり寂しかったです」。彼もまた、重圧と戦っていた。

7月1日、中止となった夏の甲子園の代替大会が岩手でも開幕する。仲間たちとの甲子園を本気で願っていたから、後輩へ寄せる思いも複雑だ。「甲子園がなくなって、甲子園を目指す大会ではないじゃないですか。100%納得いく形というのは難しいと思うけど…」。それでも「自分が納得いく形に、少しでも近づけてほしい」と願う。「自分がメッセージとか、おこがましいんですが」と添えながら。

相棒に夢を託し、これからは1人、わが道を歩く。「この職業に就きたい、という明確な夢はまだないんです」と言う。入試の志願書にはしっかり書いた。「少子高齢化が進んでいる。高齢者に生きがいや、楽しいことを。そういう街づくりをしたい」。

160キロ。手のひらへの衝撃より、スタンドの歓声やざわめきのほうが、今なお記憶に色濃いという。幼なじみを支えてきたオンリーワンの経験はきっと、広がる世界でもっと深まり、道を明るく照らす。【金子真仁】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)

19年7月、一関工を破って決勝進出を決め、大船渡・佐々木朗希(右)とタッチを交わす及川恵介
19年7月、一関工を破って決勝進出を決め、大船渡・佐々木朗希(右)とタッチを交わす及川恵介