未来へつながる空振り三振にしたい。秋季高校野球東京大会1次予選2回戦。国立の中高一貫校である東学大国際中教校は21日、小松川と対戦した。部員10人の新チーム初戦。0-17の5回2死走者なしで代打に立ったのは、唯一の控え、松永一汰外野手(1年)だった。ストライクを3球空振りすると「ちゃんと振れたのは良かったです。どうせなら打ちたかったですけど」と正直に明かした。

15人目の打者だった。それまで、1人の走者もなし。松永の三振で、5回参考の完全試合を決められた。ただ、高校から野球を再開した松永にとって、意味のある三振だった。

小学5年まで米国で暮らした。リトルリーグでプレーしていたが「遊びみたいなものでした」。楽しかったが、悔いが残る終わり方だった。帰国前のラストゲーム、見逃し三振で最後の打者になったからだ。あれから5年。再び最後の打者になったが、池田正嗣監督(52)の「3球、ストライクを振ろう」という教えを実践できた。

帰国後、いったんは野球を離れた。再び興味が湧き、7月に入部した。実は“救世主”だった。1つ上のチームは9人ぎりぎり。3年生2人が引退し、秋は連合を組むしかなかった。そこに、松永を含む3人の1年生が新たに加わり、単独出場が可能となった。松永は「声出しは経験なくて、慣れません」と苦笑いするが、「日本の野球は自分のポジションに集中できる」と汗を流す毎日だ。

この日の大敗を、池田監督は目にできなかった。都外在住の会社員。勤務先の感染防止対策に準じて、今は直接指導を自粛している。この日の指揮も助監督に任せた。それでも毎週末、ズームや動画を使った指導を継続。前日には「アウトを取ることに貢献しよう」とメッセージを送った。松永の三振を伝え聞くと「言い方はおかしいかも知れませんが、ストライクを振れた。よくできました」と評価した。

夏の独自大会はエントリーしながら、7月の抽選会直前に辞退。練習再開から大会までの準備期間が短く、安全優先の学校方針だった。「秋が終わった。これから夏の目標を定めます。生徒たちに投げかけて、課題をつぶしていきます」と池田監督。コロナ禍に翻弄(ほんろう)されながらも、来夏へ向け、できることをやっていく。その歩みに、松永の空振り三振もつながっている。【古川真弥】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)