1994年(平6)夏、ともに初戦を突破した北北海道代表の砂川北と南北海道代表の北海が、2回戦でまさかの激突。互角と見られた史上初の道勢対決は、砂川北1-10北海と、思わぬ大差で決着した。クジを引き当ててしまった側の砂川北は、エースで主将の青柳努が大乱調。大型打線も15三振を喫してしまう。勝った北海は3回戦も突破し、道勢として夏は32年ぶりの8強入りを果たした。
甲子園の女神は、時に意地悪だ。南北北海道代表がそろって1回戦を突破した94年夏、2回戦の組み合わせ抽選会。残り3校でクジに挑んだ砂川北の青柳努主将は、一瞬、迷った後に、右端の封筒に手を伸ばした。
「まずい。やっちゃった」。その瞬間、北海の大矢塁主将と目が合った。ぽっかりと空いていた北海の対戦相手が、決まった。史上初の道勢対決。決戦前日、神戸市内の宿舎で行った合同出陣式では、砂川北の佐藤茂富監督が「(北海とは)兄弟みたいなもの。2時間の兄弟げんかをしようじゃないか」と、両校ナインに語りかけた。
聖地を舞台とした“兄弟げんか”は、砂川北にとって残酷な結果となった。
大会前の練習試合2戦は、ともに4-2で1勝1敗。それが、この日は看板打線が北海のエース岡崎光師の大小のカーブに翻弄(ほんろう)され、15三振を喫してしまう。一方、関西入りしてから不調だった砂川北のエース青柳は、立ち上がりの1回、押し出しを含む3四球に失策も重なって、3失点。「自分では冷静だと思っていたけど、雰囲気にのまれていた部分があったのかも」。現在39歳。苦しかったマウンドを振り返る。
先攻だった砂川北は、1回無死三塁の先制機を逃していた。試合後「前半のチャンスでスクイズのサインを出せなかった自分に悔いが残った」と話した佐藤監督だが、それは、本意ではないはずだ。
今日16日に75歳の誕生日を迎えた名将は「バントやスクイズは嫌だし、面白くない。貴重な全国の舞台なんだ。ばちばち打たせたい」と、確固たる口調で説く。砂川北時代、自費でグラウンド横に寮を建て、廊下で寝起きしていた熱血監督の信念は「初の道勢対決」という一種、異様な興奮状態の中でも、変わらなかった。
「北海は緻密で、うちとは正反対のチームだった。でも、砂北の野球とは、そういうものだと、僕らも思っていましたから」とは青柳。潔く貫いた、豪快野球。「元気・本気・一気」の「三気野球」の誇りを、OBたちは胸に刻む。(敬称略)【中島宙恵】
◆VTR 砂川北は1回、1番太田の左翼線二塁打を起点に作った無死三塁の好機で無得点。その裏、北海は制球に苦しむ砂川北のエース青柳から、押し出し四球と失策で3点を奪い、その後は集中打で3回までに大量6点をリードした。北海の2年生エース岡崎は、カーブで砂川北打線を幻惑し、15奪三振で1失点完投。砂川北は、押し出し四球と失策で献上した初回の3点が悔やまれた。
◆47都道府県制覇 2010年(平22)センバツで北照が秋田商(秋田)と対戦し、北海道代表は47都道府県全てとの対戦を終えた。北海道以外に、甲子園で“同郷対決”を含む47都道府県と対戦経験があるのは、東京、大阪、兵庫。72年(昭47)センバツ決勝は、日大桜丘-日大三の東京勢同士の対戦となった。
道勢と最も対戦数が多いのは兵庫で、対戦未勝利なのは茨城、栃木、石川、高知、熊本。中でも高知には8連敗中で天敵だ。また、和歌山との試合は、20試合中、5試合が延長戦ともつれる傾向にある。

