全国高校野球選手権大会が100大会を迎える2018年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。元球児の高校時代に迫る「追憶シリーズ」の第14弾は「甲子園のプリンス」と呼ばれた太田幸司さん(65)です。1969年(昭44)夏の甲子園の決勝で太田さん擁する三沢(青森)は、松山商(愛媛)と激突しました。延長18回引き分け再試合の激闘の末、再戦に敗れて準優勝投手となった美貌のエース。その高校時代を8回の連載でお届けします。

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69年夏の甲子園決勝、松山商対三沢は延長18回引き分け
69年夏の甲子園決勝、松山商対三沢は延長18回引き分け

◆太田幸司(おおた・こうじ)1952年(昭27)1月23日、青森・三沢市生まれ。三沢高2年夏から投手として3季連続甲子園出場。3年夏には松山商と大会史上初の決勝戦延長18回0-0引き分けの熱戦を演じた。翌日の再試合に2-4で敗れ準優勝。69年ドラフト1位で近鉄に入団。ファン投票でオールスターに7度選ばれる。入団5年目から10勝、12勝、9勝、10勝と順調だったが、79年に肩を痛め、巨人、阪神に移籍し84年退団。プロ通算58勝85敗。勝衣夫人との間に2男1女。MBS解説者として活躍するかたわら、09年8月から日本女子プロ野球機構のスーパーバイザーを務める。