佐々木朗希だけじゃない。第101回全国高校野球埼玉大会3回戦で、花咲徳栄の中津原隼太投手(3年)がノーヒットノーランを達成した。正智深谷を相手に1四球、11奪三振。サイドハンドから繰り出す直球とスライダーを外角低めに集め、5年連続甲子園を目指すチーム層の厚さを見せつけた。甲子園の常連各校は軒並み好投手が力を発揮し、着実に歩を進めた。

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夏初先発でも、中津原は落ち着き払っていた。直球とスライダーを外角に「投げ分けられた」。丁寧に相手の反応を探っていると気付いた。「相手が、ストレートに合っている感じがしない」。

長いリーチを力強く振り抜いて直球を集め、淡々とアウトを重ねた。1四球、ジャスト100球。11奪三振でノーヒッターを達成した。大会直前に行った大学生との練習試合で3回を7奪三振。「あの2人目のサイドの子は打てない」と話題になっていた。強打が自慢のチームに彗星(すいせい)が現れた。

春の準々決勝で東農大三に敗れた直後、岩井監督にサイド転向を勧められた。「抵抗はありましたけど、秋、春と負けたので…」。スリークオーターから肘を下げると「しっくりきました。コントロールも安定しました」と監督の目に驚いた。ただ即座に対応できたのは、調整にしたたかな工夫を施したからだ。

例年とは違う練習を重ねた。腕を思いきり振れるようにするために、遠投やブルペンで助走をつけて全力投球を繰り返した。「腕が振れるようになって、持ち味のスライダーも良くなった」。初戦の先発は高森陽生投手(2年)に譲ったが「自分が投手陣を引っ張っていかないと」とエースナンバーの自覚を秘めて鍛錬を重ね、最高の結果を出した。

登板のイメージもできていた。「相手の上位に左が多かったので、もしかしたら先発かもと思っていた」。クレバーな180センチの長身サイド左腕。ジョーカーを携え、死角なく5年連続の甲子園へ歩を進める。【佐藤成】

◆中津原隼太(なかつはら・はやた)2001年(平13)7月5日、埼玉県所沢市出身。所沢商で野球経験のある父昌治さん(47)の影響で、12年に東村山ドリームで野球を始める。翌13年、読売ジャイアンツジュニアに選ばれた。14年から東村山リトルシニア、17年に花咲徳栄入学。身長180センチ、体重82キロ。好きな選手は日本ハム金子弌大。