星稜(石川)の最速158キロ右腕、奥川恭伸投手(3年)が力尽きた。令和初の全国制覇、県勢初の大旗を期待されたが、履正社(大阪)の4番井上広大外野手(3年)に3ランを浴びるなど、春に完封していた相手打線に5失点とリベンジを許した。完敗を認めた大会NO・1投手は笑顔で甲子園を去った。

日本代表として、30日開幕のU18ワールドカップ(W杯)(韓国)に向かう。

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グラウンドでの取材中、笑顔も見せていた奥川が急に泣き崩れた。フェンス越しに宇ノ気中時代の恩師の福島栄一さん、三浦隆則さんの姿があった。「こみ上げてしまいました」。最後まで「必笑」と決めていたが心は揺れ動いた。履正社のエース清水と一緒にマウンドの土を集めた。「ここまで来られて幸せだったな…」。心から思った。

調子は悪かった。準決勝から中1日でも体が重い。履正社打線も春とは別物だった。速球は当てられ、スライダーも見極められた。初回から、池田に今大会初の長打となる三塁打を浴びた。1-0の3回、井上に3ランをバックスクリーンに運ばれた。外角高めに抜けたスライダー。「失投でした。素晴らしいチームだった。向こうの方が日本一になるべきチーム。素直に負けを認めたい。野球の神様が自分に与えてくれた課題だと思う」。7回に2点差を追いついたが直後に4安打され2失点。勝負あった。「多少は…」と言葉は濁したがフォームが乱れ、体力の限界だった。

「優勝とかよりも、みんなと1日でも長く野球をやりたいんだよね」。家族にそう言って甲子園に旅立った。昔から、楽しい野球の時間が奥川の宝物だ。その一方で石川県勢初の日本一を、ライバルや知人らから口々に期待される。

「期待が大きくて、応えられるのかと。打たれるのが怖いです」。卒業した先輩に、大きな試合の前には電話する。決勝の前もそう。背番号1の重さに押しつぶされそうだった。

奮い立たせてくれるのは、いつも仲間の存在だった。「支えてもらっている人がいて、野球ができる。最後まで野球をやれてよかったです」。肘を壊しながら打撃投手で投げ続けた投手、盛り上げ役を続けてくれた同級生…。彼らのために身を削ると決めた。

山下智茂前監督(74=現名誉監督)の教えが息づく。かつて「誰のために野球をやるんや」と聞かれた松井秀喜氏は答えられなかったという。「ベンチに入れなかった部員のためにやるんや!」。今年の石川大会優勝後、奥川らは名誉監督から同じ言葉を聞いた。自分が腕を振る目的が、あらためてはっきりした。

9回は振り絞るようにこの日最速153キロを出して、最後の雄姿を示した。敗れてなお、拍手とともに甲子園を去った。月末から始まるU18W杯でも侍ジャパンのエース格。「一区切りはつきましたが、まだ高校野球は終わっていない」。上だけを見て成長してきたスーパー右腕の挑戦は、まだ続く。【柏原誠】