砂川北(現砂川)、鵡川野球部の監督として春夏計6度甲子園に導いた佐藤茂富氏が、19日午後1時45分、腸管感染症のため、死去していたことが23日、分かった。79歳だった。

約半世紀にわたり高校野球の指導に心血を注ぎ、4人のプロ野球選手を含む多くの選手を育てた。葬儀は既に近親者のみで執り行われており、11月2日に札幌市内でお別れの会を行う。

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鵡川の鬼海将一現監督(35)が「先生」の教えを胸に佐藤元監督の「野球道」を引き継ぐ。02年センバツで鵡川のエースとして甲子園初勝利を挙げた。「僕の精神は全て佐藤先生。監督ではなく、先生、おやじとして人の道、生き方を教わった」と故人をしのんだ。

高校時代は寮で佐藤監督と3年間生活した。一緒に食事をし、風呂場では背中を流した。「先生から技術的な指導を受けたことはなかった」。人生を歩む上での心の持ち方、人として肝要なこと、自ら考えることの大切さを学んだ。

07年4月に指導者になってからも支えられた。「僕にオリジナルはない。受けてきた教えが全て」。指導に悩んだ時は高校時代に佐藤監督と交わした野球ノートをめくる。達筆な字で書かれた恩師の言葉は、今でも「参考書、宝」と話す。

9月5日には秋季全道の室蘭地区予選が始まる。つばに「全力疾走」「甲子園」と書かれた帽子をかぶり、「運を持っている人だから」と恩師から譲り受けたジャンパーを羽織る。グラウンドに立ち、「佐藤先生」の精神をナインに注ぎ込んでいく。【浅水友輝】