第92回センバツ高校野球大会(3月19日開幕、甲子園)の出場32校が決定し、21世紀枠で磐城(福島)が選出された。

昨秋の東北大会中に台風19号の影響を受けたが、46年ぶりに2勝を挙げ8強入り。71年夏に「小さな大投手」田村隆寿氏(67)を擁し準優勝するなど、甲子園9度出場を誇る文武両道の古豪が、95年夏以来25年ぶりに聖地に戻る。11年の東日本大震災で大きな被害を受けたいわき市にとって、復興を象徴する吉報となった。組み合わせ抽選会は3月13日に行われる。

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まさか母校のセンバツ発表に立ち会うとは-。卒業して十数年。職員室には当時の先生方が健在だった。振り返れば、世間の女子高生のイメージとはちょっと違う3年間を過ごした。

まず制服がスカートではない。入学時、3年生は400人全員男だった。共学が決まり、男子校に誇りを持つ先生が「女子もスラックス」を提案。スカート派との折衷案でキュロット(半ズボン)になったらしい。と当時説明された。

1学年下からはかわいい室内履きが採用されたが、私の代は緑の便所サンダル。女子の部活は少なく、多くが愛好会から始まった。授業には「武道」があって柔道か剣道が必修だった。

同級生には中学浪人して入った年上が数人いた。新入生は4月に応援団による応援練習がある。出来が悪いと、長ランの上級生に「声が小せえ!」「動くな!」と大声で指導された。古きバンカラ気質を少しのぞいたような気がした。

学年で一番家が遠く、学区外の浪江町から毎朝6時の常磐線に乗った。聞けば佐藤綾哉投手(1年)も浪江出身。小1で被災し、原発問題で山形に避難。中学からいわきに来た。夏の甲子園100回大会の際、磐城が準優勝した71年夏の映像に心揺さぶられた。「勉強も部活も結果を出してこそ高校野球。ここに入りたいと思いました」。伝統が時を超え、震災を乗り越えた少年に力をくれた。

野球担当になって10年。球界で「磐城」と言えば「小さな大投手のところか」と返ってくる。71年夏優勝校(桐蔭学園)の捕手だった星槎国際湘南・土屋監督ともお会いした。先の台風で夏井川氾濫のニュースを見て、思い出した。「峰は秀づ赤井嶽 水は清し夏井川」。全国的にも珍しい3拍子の校歌。最後に野球部の試合を見たのは高3夏の全校応援だった。甲子園のアルプスであれが流れたら、泣きそうだ。【磐城OG(共学2期) 鎌田良美】