21世紀枠での今春センバツ出場が幻となった磐城(福島)が2日、渡辺純新監督(38)のもと再出発した。木村保前監督(49)の福島商転任にともない、前いわき光洋監督でOBの同新監督が就任。大場敬介前部長(30=千葉・旭農)の後任には、副部長だった後藤浩之部長(36=写真は東北題字)が就任した。

部活動自粛で3月3日以来の全体練習。20人の部員を前に渡辺新監督は「やることは木村先生の時と変わらない。みんなと思いは一緒。木村先生、大場先生を甲子園に連れて行きたい」とあいさつした。新型コロナウイルス感染拡大の影響で大会が中止となり、「他校にいても、母校の甲子園出場は誇りだった。中止への一連の流れは心底残念。本当なら木村先生に一花咲かせてもらって、その後に引き継ぎたかった」と複雑な心境を口にした。

この日は室内練習が中心だったが積極的に選手と会話した。磐城で2学年後輩だった後藤部長は「当時から気さくでやさしい先輩でした」。岩間涼星主将(3年)は「野球を知っている方で、サインプレーも引き出しが多くて、(いわき光洋は)嫌な相手だった。今度は自分たちがそこを強みにして、相手にしがみついていけたら」と積極的に学ぶ意気込みだ。渡辺新監督は初練習を終え「外から見ていたら小憎らしいといいますか、いろいろ自分たちでやっていた。今日見ても、そこが長所だし、自主性がすばらしいと感じた」と印象を口にした。

いわき光洋では14年夏に4強、17年夏は準優勝。3月まで指導した選手たちには「お前ら甲子園行けよ。オレらも行くけど(笑い)決勝で当たったときは恨みっこなしだ」と別れを告げた。「木村先生の残してくれたものを財産にしながら、自分の経験と知識を組み合わせていきたい。夏は自力で甲子園に行くぞと伝えました」と、聖地への再スタートを切る。【野上伸悟】

◆渡辺純(わたなべ・じゅん)1981年(昭56)8月19日生まれ、福島県楢葉町出身。楢葉中で東北大会出場。95年夏の甲子園に出場した磐城に憧れ入学。3年夏はエース右腕で3回戦敗退。順大では4年春に東都2部で3勝を挙げた。卒業後はオールいわきでプレーし、05年から富岡でコーチ、06年から小野で部長、07年から監督。11年8月からいわき光洋の部長、13年9月から監督。保健体育教諭。家族は夫人と1女。