監督として取手二、常総学院(ともに茨城)で3度の甲子園優勝を成し遂げ、11月24日に肺がんのため89歳で亡くなった木内幸男さんの通夜が2日、取手市内で執り行われた。常総学院・島田直也監督、日本ハム金子誠野手総合コーチ、DeNA仁志敏久2軍監督ら、プロに進んだ教え子が多数参列。野球場を模した祭壇に、高校野球の「栄冠は君に輝く」が会場に流れる中、故人をしのんだ。

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木内さんは、まさに「野球葬」で約2400人にしのばれた。会場の入り口には優勝した2校のユニホームが飾られ、祭壇は野球場を模してある。会場には「栄冠は君に輝く」がエンドレスで流された。戒名は「常光院摂取球誉幸叡清居士」。「常」総と「取」手二、野「球」が入った。第73回センバツと第85回全国選手権の優勝を記念した旗に挟まれた棺(ひつぎ)には、常総学院のユニホーム、DeNA仁志2軍監督のサインボール、15通ほど届いたファンレターが入れられる予定だ。

参列した金子コーチは訃報を聞く2日前、木内さんの夢を見たという。「じいさん元気かなと思った矢先だった」。昨年12月に近況報告して以来会っておらず、普段は夢を記憶することもない。それでも木内さんがノックをしてくれた。「もう62、63歳ぐらいで現役時代にノックは年に1、2回しかなかったけど」。不思議な夢に縁を感じた。

1年ぶりに会った恩師の姿に、改めて感謝の念を表した。「毎日何だクソジジイと思いながらやっていたが、好きにやらせてくれていたんだなと思う。僕がいろんな感性を持てたのは、木内さんのおかげ」。キャプテンを2度クビになったり、左打ち転向を命じられたりしても、手のひらで転がされていたと自覚する。この日は偶然にも、日本ハムとの契約更新日と重なった。指導者として出発点を思い返した。

常総学院は来春のセンバツに出場を確実にしている。恩師と出場した思い出の地に、島田監督は思いをはせた。「ベンチでどうしたらいいですかと聞きながらやりたい。恥をかかせないように。天国で見ていると思う」。来季から指揮を執る仁志2軍監督は言った。「木内さんがいなかったら今の自分はいないでしょう。親以上の存在」。教え子の誰しもが、強烈な影響を受けた希代の名将。実績を残し、人を残し、残された人がイズムを受け継ぐ。【斎藤直樹】

◆主な参列者 松沼雅之、仁志敏久、金子誠、坂克彦、内田靖人、中島彰一、小菅勲、前田三夫(順不同、敬称略)