埼玉初の助っ人レンタル越生に届いた大声援/南埼玉

劣勢から追い上げたものの敗れた越生(撮影・金子真仁)

<高校野球南埼玉大会:和光15-7越生>◇1回戦◇8日◇川越初雁球場

 単独廃校ルール、いわゆる“助っ人レンタル制度”を、越生(おごせ=南埼玉)が埼玉大会で初めて使った。部員7人、1人は故障中。近隣の武蔵越生から1、2年生4人が派遣され、夏の大会に臨んだ。チーム結成から約1カ月。初回に10失点したが、武蔵越生の友情応援にも乗り、7-15まで追い上げた。試合後は笑顔で解散し、互いの飛躍を誓った。

 青ざめた。初回、10失点。越生の柿崎優斗投手、主将の平原美空(みく)捕手(ともに3年)のバッテリーは「ダメか…」と気持ちが切れかけた。やっと最後の夏に出場できたのに、3アウトを取ることもこんなに難しいのか…。ベンチへ戻る失意の2人を、助っ人たちがもり立てた。

 1回裏、武蔵越生からの派遣選手、坂本竜也遊撃手、相川慶太二塁手(ともに2年)の1、2番が続けて出塁。同じくレンタルの5番・西名将洋三塁手(1年)の適時打などで2点を返した。千葉烈左翼手(1年)も入れた4人は、第1試合は自校のスタンド応援に励んだが、2回裏で切り上げ、第2試合では越生の選手として戦った。

 懸命な姿に触発されたのが、第1試合で敗れた派遣元の武蔵越生だ。悔しさを押し殺し、3回裏に約60人が越生スタンドで友情応援を始めた。田口皓基選手(2年)が先導し、大声で「ミクさーん!」など面識のない越生の選手に声援を送った。田口は「仲間が派遣されたチーム。3年生のおふたりにはいい気持ちで野球をしてほしい」と声をからしながら熱く話した。

 武蔵越生のチアリーダー部は、2試合連続で全力で踊った。これまで合同チームを組んだ学校の父母も応援に訪れた。平原は「これまで応援されることはほとんどなかったので」と感動。打線は明らかに声援に後押しされた。友情応援開始後の3~6回は毎回得点で点差を縮めた。平原も左中間を破る適時打を放った。あまり足が速くなく、二塁でアウトになった。でも笑っていた。助っ人に支えられ、野球を心底楽しんだ。

 2人だけの静かな野球部は1年後、大声援のフィナーレを迎えた。平原は「感謝の気持ちでいっぱいです」と泣きそうな笑顔を浮かべた。

 レンタル選手にも学びの夏になった。西名は「人数の少ないチームは、周囲を見て自分の役割を探すことが大事。戻ってから生かしたい」と話した。笑顔で去る仲間たちに、平原は大声で「ありがとうございました!」。実は試合前は4人のフルネームはうろ覚えだったが、もうしっかり覚えた。1年後、頼もしかった助っ人たちの成長を確かめに、武蔵越生の応援席へ行くつもりだ。【金子真仁】

 ◆単独廃校ルール 部員不足の高校が近隣校から選手を借りて大会に参加できる特別措置。日本高野連が00年に導入。出場可能な自校部員が5人以上9人未満の場合、計10人になるまで補充できる。12年には部員8人以下の2校以上が組んで参加できる連合チーム制度も大幅緩和された。西東京では15年に多摩が日野から5人の援護を受けた。

<「合同チーム」組めず>

 越生は昨夏、部員2人で新チームがスタート。公式戦には近隣他校との合同チームで出場する中、校内での声かけで、今春に部員が7人になった。ただ、西部地区内の他校が夏の大会までに9人以上の部員をそろえたため、越生は合同チームを組めず、単独廃校ルールを選択。県高野連に申請し、6月中旬に受理された。越生は部員7人だが、故障で1人が記録員登録に。武蔵越生から4人を派遣され、選手10人で登録した。