水戸商・小林俊輔、家族が支え家族を支えた夏/茨城

4回表水戸商2死二塁、同点となる左前適時打を放つ水戸商・小林俊輔(撮影・伊作将希)

<高校野球茨城大会:常総学院5-1水戸商>◇24日◇準決勝◇ノーブルホームスタジアム水戸

 水戸商は、常総学院に敗れ準決勝敗退となった。高校通算63号を放った4番、小林俊輔外野手(3年)の夏が終わった。9回表2死、3番野上勇斗内野手(3年)が三ゴロに打ち取られると、小林俊はネクストバッターサークルでバットを片手にうずくまった。私立高を倒して、甲子園に行きたい-、夢にはあと2つ届かなかった。

 DeNA細川成也外野手(19)が明秀学園日立時代に打ち立てた茨城県最多本塁打記録とされる63本に並び、あと1本で更新というところだった。準々決勝の藤代戦では、3打席連続で死球を受け、右飛、敬遠気味の四球と全く打たせてもらえなかった。「準々決勝では周りに助けられて勝てた。準決勝では自分がチームを助けようと思っていた。俺がこの試合で1本本塁打を打てば、チームが勝つ力になれる。打ってやろうという気持ちだった」。しかし第1打席は四球、第2打席は詰まって左前適時打。第3打席、力を込めたフルスイングは空を切り、三振に終わった。

 ◇  ◇

 昨夏の1回戦で中央に敗れたところからが、この代のチームの始まりだった。「OBからも、『水戸商は終わった』と厳しい言葉をかけられて、何とか打破してやろう、その気持ちだけでした」。昨年8月、新チームが始動してから8試合連続で本塁打を放つなど、打撃面では好調をキープしていたものの、チームは秋季県大会で日立一に敗れた。「チーム全体としての打つ力が足りないなと思いました」。動画で見つけた花咲徳栄のハンマートレーニングに刺激を受け、選手たちで話し合った上でコーチに購入のお願いを申し出た。15キロのハンマーはなかなか市内では手に入らず、インターネット通販で購入。タイヤは市内のバス会社から寄付を受け、1日に200回ほどハンマーを振り下ろして全身の筋肉を鍛え上げた。西川将之監督(33)は「選手たちからやりたいって言ったんですから、徹底的にやりました」とにやり。春季県大会では4強入りを果たし、今夏準々決勝では小林嵩(しゅう)捕手(2年)にも満塁本塁打が飛び出すなど、チーム全体の打撃力の底上げにも確実に結びついていた。

 小林俊にとって、家族の応援が何よりの支えだった。試合の日には父三男さん(58)と一緒に家でトスバッティングを何球か打ち、感触を確かめてから球場に入った。この日の朝も、いつも通り父との時間を過ごした。母邦子さん(52)は食事面。夕飯時にどんぶり2杯のご飯を必ず食べさせ、スラッガーの体づくりを支えた。1杯目は白米、2杯目は好物の納豆をかけて食べた。弁当ではソフトボールほどの大きさのおにぎりを2つ。毎朝午前5時半に起き、「体を大きくして活躍してもらいたい」との思いを込めて握ってきた。

 水戸商に決めたのも、祖父母への強い思いがあった。「おじいちゃんとおばあちゃんに試合を見に来て欲しいから、水戸商にしました」。水戸市内に住む母方の祖父金沢順さん(87)と祖母安枝さん(83)は、小学生の頃から野球を応援してくれていた。「水戸で野球をやれば、見に来てもらえる」。県外の高校からの誘いも断った。

 「俊輔の野球を見ることが、おじいちゃんおばあちゃんの生き甲斐になっているんですよ」と邦子さんは言う。順さん、安枝さんともに、練習試合でも球場に足を運び、孫の雄姿をこの日も最後まで見届けた。小林俊は「応援されるチームで、茨城県代表として甲子園に出たかった。おじいちゃんとおばあちゃんがずっと来てくれているから、長い夏にしようと思っていたけれど…」。大粒の涙を拭いながら、悔しさをにじませた。「でも、やりきったかな」。3回戦では本塁打も打った。「大会を通して、自分のバッティングはできたかな。3年間やってきたものは出せたと思う」。常総学院との試合を終え、学校でのあいさつを済ませた後は祖父母宅に向かった。「応援ありがとう」。これまでの感謝を祖父母に伝え、高校野球に一区切りをつけた。

 まだまだ野球は終わらない。「立正大に行って野球を続けたいです」と大学でもプレーすることを希望している。高校野球で培った家族への感謝の思いを、新たなステージでまた体現するだろう。【戸田月菜】

 

 ◆小林俊輔(こばやし・しゅんすけ)2001年(平13)2月25日、水戸市生まれ。小学4年の時に上中妻ニューフレンズで野球を始め、友部シニアを経て水戸商。昨夏は捕手も経験したが、基本は中堅手。高校通算63本塁打。好きな野球選手は、「フルスイングが魅力的」とソフトバンク柳田悠岐。家族は父三男さん、母邦子さん、兄龍之介さん、泰輔さん、姉綾香さん。右投げ左打ち。175センチ、76キロ。