KK沈めた取手二V戦士が甲子園かけ監督対決/茨城

84年8月、全国高校野球選手権を制し、優勝旗を持つ木内幸男監督(手前右)と取手二ナイン

<高校野球茨城大会:土浦日大6-1常総学院>◇25日◇決勝◇ノーブルホームスタジアム水戸

 これも“木内マジック”か。土浦日大(茨城)が常総学院を下し、2年連続4度目の甲子園出場を決めた。土浦日大・小菅勲監督(51)と常総学院・佐々木力監督(52)は84年に取手二で、木内幸男監督(87)のもと全国優勝を果たしたチームメート。100回記念大会決勝での対決で恩師を喜ばせた。

 土浦日大ナインがマウンドに集結し、人さし指を天に向けて喜びをはじけさせた。小菅監督はそれを見届けると、ベンチからグラウンドへ歩を進めた。0-1で迎えた4回表のワンチャンスを打者11人の猛攻につなげ、6点を奪った。取手二時代の恩師・木内幸男氏がよく見せたような連打、連打だった。

 常総学院の佐々木監督とは、取手二の同級生で、84年に清原和博、桑田真澄の「KKコンビ」擁するPL学園を破って茨城県勢で初めて夏の甲子園を制した元チームメート。バックネット裏からは当時の監督の木内氏も見守っていた。試合前の教え子たちには声を掛けず、ひっそり。「死ぬまでに、教え子同士が監督するチーム同士の決勝を見たかったんですよ」。感慨深そうに目を細めながらにやりと笑った。これまでも小菅、佐々木両監督の対決はあったものの、決勝での対戦は初めてだった。

 今年は取手二V戦士のエース、石田大也(いしだ・ともや)さん(本名・石田文樹=いしだ・ふみき)が08年に41歳の若さで亡くなってから10年の節目でもある。この試合を解説したのは、当時の主軸で現在は新日鉄住金鹿島の監督中島彰一氏(52)だった。木内氏は土浦日大の勝利を見届けると「打って勝つ時代だなぁ」と足早に球場を後にした。小菅監督は「抽選したときから常総学院と決勝で当たると思っていた。石田もそうだし、みんなの因縁ですね」と縁のある勝利に小さく喜んだ。【戸田月菜】

 ◆84年決勝VTR 取手二は清原、桑田で夏連覇を目指すPL学園と対戦。初回2点を先制した取手二は7回に吉田の2ランで追加点。9回に石田が清水哲に同点弾を浴び延長に突入したが、延長10回に中島の3ランなどで4点を挙げ、8-4でPL学園に勝利。春夏通じ初めて茨城県に優勝旗をもたらした。

 ◆土浦日大 1963年(昭38)創立の私立校。普通科のみで生徒1918人(女子838人)。野球部創部は64年。部員数88人。甲子園は春2度、夏4度目。主なOBは元横浜小山田保裕、元ロッテ神戸拓光。所在地は茨城県土浦市小松ケ丘4の46。吉田正俊校長。

◆Vへの足跡◆

2回戦4―2牛久

3回戦7―0勝田

4回戦8―0鉾田一

準々決勝8―3明秀学園日立

準決勝8―5霞ケ浦

決勝6―1常総学院