【復刻】甲子園騒然!星稜・松井に明徳が5連続敬遠

星稜対明徳義塾 星稜・松井秀喜は5打席目もこの日5回目の敬遠を受ける(1992年8月16日)

 2018年夏、全国高校野球選手権大会(甲子園)が100回大会を迎えます。これまで数多くの名勝負が繰り広げられてきました。その夏の名勝負を当時の紙面とともに振り返ります。

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<第74回全国高校野球選手権:明徳義塾3-2星稜>◇1992年8月16日◇2回戦

 甲子園がパニックと化した。スタンドに怒号が響き、グラウンドにはメガホンからゴミまでが投げ入れられた。星稜-明徳義塾の対戦は、超高校級スラッガー松井秀喜選手に対する全打席敬遠四球攻めで、最終回には試合が一時中断する騒動となった。勝者の校歌斉唱時にも「帰れ」コールが起きるなどの険悪ムード。この前代未聞の事態に、試合後牧野直隆高野連会長(81)が異例の記者会見を行うなど、フェアプレー精神から敬遠四球是非論まで波紋は広がった。

 血相を変えた星稜・野村治夫部長(44)が三塁側アルプス席前で叫ぶ。「やめてください!」。9回表2死一、三塁。左翼ポール周辺に、次々と投げ込まれるメガホン。審判団がボールボーイを、山下智茂監督(47)がベンチにいる選手を回収に走らせた。大銀傘には「帰れ」コールがこだまし「……グラウンドに物を投げ込まないでください」との場内アナウンスをかき消す。前代未聞の騒動の中、松井は一塁ベース上で静かにうつむいたまま。「敬遠5四球」に、甲子園が泣いていた。

 1回表2死三塁。松井の第1打席、明徳義塾の右腕河野が投じた初球が外角遠くに外れたとき“世紀の敬遠攻め”が幕を開けた。

 【明徳義塾・河野の証言】「3日前に先発を言われたときに、監督から“全部敬遠”の指示を受けました。そりゃあ一度くらい勝負はしたかったです。でも、作戦でしたから……」。

 怪物のバットは動かない。3回表の2打席目は1死二、三塁、5回表の3打席目は1死一塁といずれも走者を置いての登場。そして2死走者なしで迎えた7回表の第4打席でも、明徳義塾バッテリーが勝負を避けたことで、ムードがおかしくなった。星稜応援団の「勝負」コールが、ネット裏まで伝わる。一塁側アルプスを除く球場全体が松井へ声援を送り出した。

 勝敗が決着してもおさまらなかった。明徳義塾の校歌が流れ始めると、三塁側のファンを中心にまたも「帰れ」コール。勝者への敬意は完全に無視された。

 【明徳義塾・馬淵監督の証言】「3回裏にスクイズが決まって、3点差になっていれば(三振併殺)勝負をさせました。でも、1点差の展開では……。分かるでしょう。私もつらいんです」。

明徳義塾野球部のモットーは「勝つための最大の努力」。球場を支配した不満の声にも馬淵監督はベンチで動かない。だが、試合後のインタビューでは質問攻めにあい「もう、かんべんしてくださいよ」と涙を流した。

 【星稜・山下監督の証言】「高校野球だから勝負してほしかった。全部四球というのは情けない。県大会では全部勝負してくれましたし、練習試合でも記憶にありません(過去に公式戦で1度ある)。松井は人間がしっかりしているから、顔にも出さない。それだけになおさらかわいそうです」。

 終始言葉少なだった松井の横で、山下監督は宙をにらんだまま話し続けていた。「男と男の勝負。私はそういう指導をしてきたつもりです」との声が震える。

 試合終了直前から大会本部には抗議の電話が殺到。ハプニングを憂慮した大会役員は甲子園署に対して、警備の増員を要請した。選手出口から移動バスまでの通路に、通常の3倍近い警官、ガードマンを約100人配備、殺到するファンに備えた。事態を重くみた日本高野連が、牧野直隆会長のコメントを文書で発表。その後、球場内の貴賓室で緊急記者会見を行う異例の事態にまでなった。

 大会史上3度目の「個人1試合5四球」は、あの清原和博(PL学園、現西武)も経験していない。いかにスラッガー松井が他校にとって、恐怖の的であったかを物語るものだ。勝利を望む明徳義塾にすれば「最善の策」を用いたにすぎない。だが、高校野球のポリシーが「教育の一環」を謳(うた)う限り、後味の悪さも残る。甲子園が生んだ騒動が、今後のアマチュアスポーツ界に一石を投じたことは間違いない。

 

◆松井の全打席◆

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回  状況     スコア 結果

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1回 2死三塁   0-0 敬遠

3回 1死二、三塁 0-2 敬遠

5回 1死一塁   1-3 敬遠

7回 2死無走者  2-3 敬遠

9回 2死三塁   2-3 敬遠

 

※記録と表記などは当時のもの