2018年夏、全国高校野球選手権大会(甲子園)が100回大会を迎えます。これまで数多くの名勝負が繰り広げられてきました。その夏の名勝負を当時の紙面とともに振り返ります。
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<第51回全国高校野球選手権:松山商0-0三沢>◇1969年8月18日◇決勝
決勝戦は午後1時から甲子園球場で松山商(北四国)-三沢(北奥羽)の間で行われた。試合は松山商・井上、三沢・太田両投手の投げ合いで0-0のまま延長戦にもつれ込んだ。延長戦になってから三沢が15、16の両回1死満塁というチャンスを逃し、0-0のまま勝利が決まらず、18回、大会規定で引き分け再試合となった。決勝戦が引き分け再試合になったのは大会史上初めてである。再試合はきょう19日午前1時から行われる。
インタビューに立った(三沢)田辺監督。「いやいや、ひどい試合でした」と疲れ切って沈んだ表情だった。15、16回と1死満塁。優勝旗を九分九厘、手にしながら逃しただけに、まるで負けたような顔つきだ。
18回、262球を投げ抜いた太田投手は対照的に余裕さえ見せる。「疲れはいまのところ感じていません。でも勝ちたかったですね。松山はどのコースをに投げても鋭くバットを出してくるので最後まで気が抜けなかった」。18回で引き分けになることは、はじめから知っていたそうだが「それまでにはケリがつくと思った」と太田はいう。「ケリとはどっちに?」と聞かれると「さあ、それはどっちともいえません。力は互角ですから……」といって笑っていた。
延々4時間16分、文字どおり死闘。15回の1死満塁。打者立花のカウントは0-3。「これで勝った」と田辺監督は思ったそうだ。ここで田辺監督は「待て」のサイン。「僕はスクイズかなと思ったのですが、待てのサインだったので待った」。立花のカウントは2-3になり、遊ゴロは「抜けたと思った」(立花)だがバックホームされてアウト。 16回も同じようなケース。今度はスクイズを見破られて高田三振。三塁走者の小比類巻は三本間でアウトになった。三沢にとっては手の届くところまで優勝旗がありながら「ゼロ」に終わっただけに、全員残念そうな表情だった。
「15、16回の逸機は私の作戦の失敗です」。強気の田辺監督は大魚を逃した悔しさなのかしょげかえっていた。そして「松山は本当にうまいチームだ。私のところより一枚も二枚も上です」と土俵ぎわで離れ業を二度やった松山商の守備をほめていた。
ナインは控え通路で放心したように立ちすくんでいた。まるで18回が信じられないようである。立花も高田も「3ボールからあれだけストライクがとれる井上君には全く驚きました」とつぶやくだけだ。そんなナインが目にはいったのか田辺監督は「別に負けたわけではない。また出直しだ。太田のスタミナも大丈夫」。
松山商には井上のほか中村投手がまだいる。「そんなことはあまり関係がありません。どう考えたって、ウチは僕1人しかピッチャーはいないんだから。僕が投げるしかありません」。エース太田は自信に満ちていた。
スタミナについても「こういうときのために練習を積んできたんですから。どうということはありません。根性で投げます」。心配ないといっている。そして注意することは「きょうと同じです」ときっぱりといっていた。
※記録と表記などは当時のもの
※記録と表記などは当時のもの