済美・矢野サヨナラ満弾、亡き名将の練習法実った

13回裏済美無死満塁、矢野は右翼へサヨナラとなる満塁本塁打を放つ(撮影・滝沢徹郎)

<全国高校野球選手権:済美13-11星稜>◇12日◇2回戦

 100回目の夏に、史上初の奇跡が起きた。第100回全国高校野球選手権大会の2回戦4試合が甲子園で行われ、済美(愛媛)の1番矢野功一郎内野手(3年)が2点を追うタイブレークの延長13回裏無死満塁、右翼ポール直撃の劇的アーチを放った。逆転サヨナラ満塁本塁打は大会史上初。8回にも9番政吉完哉外野手(3年)の逆転3ランを含む8得点で6点差をひっくり返していた。星稜との壮絶な死闘を制し、2年連続で3回戦に進んだ。

 舞い上がった打球は、ファウルゾーンに落下するかに見えた。打った済美・矢野は一塁へ走りかけ、打席に戻ろうときびすを返した。しかし、右翼方向から吹く強い浜風に白球は押し戻される。そして引き寄せられるように、右翼ポールを直撃した。2点を追う13回裏無死満塁。あまりにも劇的なアーチだった。右手を握りしめ、再び走りだした矢野は「頭が真っ白で何も考えられなかった」。大会史上初となる逆転サヨナラ満塁本塁打。100回大会の夏に、甲子園が揺れた。

 奇跡は2度起きた。6点を追う8回。星稜の強力打線に押され、敗戦は濃厚だった。9番政吉の死球から、猛攻が始まった。1点、また1点と返していく。再び政吉に打席が巡り、左翼への逆転3ランが飛び出す。高校通算2本目、公式戦初本塁打が最高の場面で出た。「何が起こったのか分からなかった。泥臭く、粘っていこうと思っていた」。延長に突入し、13回にはタイブレークで2点を奪われた。それでも屈しない。その裏、先頭の政吉がセーフティーバントに成功。「彼はうまいんです。最悪でも二、三塁。できれば満塁と思った」。ベンチの指示に応え、スタンドの雰囲気は一変した。

 済美にとって、史上初のサヨナラ劇は2度目だった。04年センバツ準々決勝でダルビッシュ有(現カブス)を擁する東北(宮城)に、大逆転勝ち。9回裏4点差からのサヨナラ勝ちは、それまでの甲子園史上になかった。今は亡き名将が残した土壌がある。ナインは「サドンデス」という名の練習法に取り組んできた。延長戦で無死一、二塁や満塁など、さまざまな状況を設定して紅白戦を行う。矢野は言う。「ずっとやっていることだと思う。大会前にやるので、それが出てよかった」。14年に亡くなった上甲正典監督(享年67)が、10年ほど前に発案したという。偶然にもタイブレーク対策と重なった。

 済美は強打のイメージがあるが、新チーム結成時に力強さはなかった。中矢太監督(44)は「飛ばない選手が振ってくれた。選手の努力が結果に出た」とたたえる。今年のチームスローガンは「凡事徹底日本一」。派手さはないが、土壇場で見せた勝負強さ。見たことのないドラマを完成させた。【田口真一郎】

 ◆済美の逆転サヨナラ弾 04年センバツ準々決勝の東北戦で、高橋勇丞が逆転サヨナラ3ランを打っている。春夏通算で逆転サヨナラ本塁打を2本打った学校は初めて。

 ◆矢野功一郎(やの・こういちろう)2000年(平12)7月1日生まれ、愛媛県今治市出身。小学2年から富田パイレーツで野球を始め、小学4年からは城東野球軍団にも所属した。今治南中時代は西条少年野球団に所属し、内野手。中学1、2年時には全国大会にも出場。遠投90メートル。50メートル走6秒4。172センチ、64キロ。