仙台育英完敗も「全員野球」貫徹 最後まで全力疾走

浦和学院対仙台育英 9回裏仙台育英2死一塁、三ゴロを放ち一塁へヘッドスライディングで飛び込む沢田。失策も重なり出塁した(撮影・垰建太)

<全国高校野球選手権:浦和学院9-0仙台育英>◇12日◇2回戦

 東北勢最後の登場となった仙台育英(宮城)が、浦和学院(南埼玉)に0-9で4安打完封負けした。今年1月から就任した同校OBの須江航監督(35)が、記録員でベンチ入りした01年以来17年ぶりの初戦敗退を喫した。昨年12月に元部員らの飲酒喫煙が発覚。今年1月に受けた半年間の対外試合禁止処分を乗り越えてつかんだ甲子園切符だった。勝利こそつかめなかったが、信念を持って掲げてきた「全員野球」は見せつけた。

 121人の部員全員と一緒に戦ってきた日々に、ピリオドが打たれた。須江監督にとって、高3夏以来17年ぶりの甲子園。13年の夏初戦でサヨナラ勝ちした浦和学院相手に完封負けを喫したが、それでも敗戦のお立ち台では前を向いた。

 「試合としてはワンサイド。悔しさしかないですが、この半年、生徒たちが積み上げてきたこと、やってきたことの事実は変わらない。負けはしたが、本当によく頑張った」

 甲子園初采配で信念の「全員野球」は貫いた。同監督は「全員が1つ以上の武器を持っている。レギュラーは9人ではない」と積極的に選手を起用。関西入りしてから右手親指を骨折した菊地太志内野手(3年)を9回に代打で送り出し、17選手が聖地の土を踏んだ。夏の宮城大会で確立した捕手3人態勢も披露。徹底事項のカバリングや全力疾走は最後までやり通した。

 「全員野球」を掲げたのには理由があった。監督に就任した今年1月早々。原点に立ち戻るため、埼玉の実家に保存していた高校時代の野球ノートを送り返してもらい、じっくりと読み返してみた。そこには当時の赤裸々な思いが書き込まれていた。「何としてでも試合に出たい…」。悶々(もんもん)とした思いをぶつけていた日々のノートを見て、チームの運営方針が定まった。

 まずはA、Bチームの振り分けをやめ、統一の練習メニューをこなした。3月から行った100試合以上の紅白戦は全部員が出場するのにこだわった。今まで練習試合の出場機会が少なかった選手たちは「横一線で競わせてくれて、うれしい」と目の色を変えてバットを振った。全選手を平等に競わせることで、チームの底上げを図った。6月20日のメンバー発表では、昨秋の県大会から新たに5人が入れ替わった。

 夏本番でレギュラー、ベンチ、スタンドが三位一体となった。この日、スタンドでは丸子翔大応援団長(3年)をはじめ、控え部員たちがかれるほど声を出して応援した。阿部大夢主将(3年)は「ベンチにいる選手だけが戦力じゃない。スタンドで応援してくれた控え部員も含め、全員野球ができた。ここまで来られたのは誇り」と涙を見せずに胸を張った。須江監督も「メンバー発表の最後まで全部員が争ってきた。また出直して、本当の意味での“全員野球”で新しい伝統をつくっていきたい」と宣言。第100回の夏で得た糧を胸に秘め、新生仙台育英が走りだした。【高橋洋平】