盛岡三・西舘は筑波大へ みちのく球児の進路を紹介

筑波大に合格した盛岡三・西舘は、雪が積もる思い出の岩手県営野球場を背に4年後のプロ入りを誓った(撮影・野上伸悟)

<みちのくプラス>

みちのく高校球児たちが、昨夏の第100回記念大会での奮闘を胸に卒業し、さらなる飛躍に挑む。日本ハムにドラフト1位指名された最速152キロ右腕・吉田輝星(18=金足農)を筆頭に、プロ、社会人、大学、海外留学など、新たな道は多岐にわたる。春夏の甲子園出場8校に加え、注目選手220人の進路を紹介する。【取材・構成=野上伸悟、鎌田直秀】

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無念のドラフト指名漏れから4カ月あまり、盛岡三の大型右腕西舘洸希投手(18)に「サクラサク」の吉報が届いた。一般入試で筑波大体育専門学群の合格を勝ち取った。筑波大は首都大学野球リーグで優勝4回、1987年には国立で唯一、明治神宮大会を制した国立の雄で、昨秋もリーグ戦2位から代表決定戦を勝ち抜き明治神宮大会に出場した。西舘は「自分の力で手にした感じなのでうれしい。国立でも高いレベルのチームでやってみたかった」と難関突破に安堵(あんど)の笑顔を見せた。

岩手県の高校生でただ1人、プロ志望届を提出した。進学校から、大学に進まずプロを目指すことに反対する人も多かったが、己を貫き「みんな自分のことを真剣に考えてくれていた。でも、少しでもチャンスがあるならプロの高いレベルに挑戦して成長したいと思った」と固い決意は揺るがなかった。そして、「大学はプロを終えた後でも行ける」と、考え抜いて決断に至った。

昨年10月25日のドラフト会議。下宿先のテレビの前で1人指名を待ったが、最後まで声はかからなかった。「覚悟はしていたので、そんなに落ち込みませんでした」とすぐに気持ちを大学受験へ切り替えた。9月の模擬試験ではE判定も、決して諦めなかった。予備校には通わず、1日12時間にも及ぶ猛勉強を続けた結果、センター試験で8割近い得点をマーク。2次試験は140人の定員に約500人が受験、倍率3・5倍の狭き門を突破した。千葉勝英監督(45)も「親元を離れて下宿生活する中で成長したと思う。自己管理を怠らず、勉強も自力で頑張った」と称賛する。

岩手県の先輩、エンゼルス大谷翔平(24)にあこがれる。自らも幼い頃から野球とスキーの二刀流でならした。雪深い一戸町出身。一戸中時代にはクロスカントリーで中学総体等の全国大会に出場し、中1のジュニアオリンピック10キロクラシカルでは4位入賞を果たした。スキーで鍛えられた足腰と精神力が野球にも生かされ、中3の全国中学総体に出場した。県内強豪私立からも声がかかる中、14年春の東北大会で準優勝した文武両道の盛岡三にあこがれ入学。3年春には4強進出を果たすなど、注目を浴びるまでに成長した。

最後の夏は初戦で怪物佐々木朗希(当時2年)の大船渡に敗れた。8回まで2-3と接戦も、最後は2-11の大敗。打者としても2三振を喫し「直球もすごかったけど130キロ以上の変化球は見たことがなかった。自分としても最後まで投げきることができず申し訳なかった」と不完全燃焼で高校野球を終えた。弟の勇陽投手(新3年)は花巻東で昨年の春夏と甲子園に出場。一時は「大谷2世」と評された逸材で、兄弟のステージが変わっても、切磋琢磨(せっさたくま)していく。

指名漏れもプラスにとらえる。筑波大は運動メカニズムの科学的研究において世界屈指の環境を誇る。「自分のフォームはまだ理にかなっていないので、勉強しながら投球に生かしたい」。千葉監督も「各種目の専門家から理論を学んでほしい。まだ粗削りなのでいくらでも成長できる」とエールを送る。「4年後のドラフトでは今度こそ指名されるように、しっかり体を鍛えながら努力を続けたい」と未完の大器が、夢に向かって新たなスタートを切る。【野上伸悟】

◆西舘洸希(にしだて・こうき)2000年(平12)6月27日、岩手県二戸郡一戸町出身。一戸南小3年から野球を始め、一戸中から盛岡三へ進学。家族は両親と兄、弟。最速144キロで持ち球は直球、カーブ、スライダー、フォーク、スプリット、チェンジアップ。186センチ、87キロ。血液型A。