立命館宇治・里井監督37年ぶり優勝に男泣き/京都

甲子園出場を決めて歓喜の涙を流す里井祥吾監督(撮影・白石智彦)

<高校野球京都大会:立命館宇治3-2京都国際>◇28日◇決勝◇わかさスタジアム京都

立命館宇治がサヨナラ勝ちで、37年ぶり3度目の夏の甲子園出場を決めた。94年に校名を改称しており、現校名での出場は初めてとなる。

2-2の9回2死二塁で、3番上田龍一郎外野手(3年)が左翼越えのサヨナラ適時打。「2年生の岡田がしっかり(犠打で)送ってくれたチャンス。監督にも『この回で決めろ』と言われていました」。7回まで1安打ながら、終盤に追いつき劇的な形で甲子園出場を決めた。歓喜にわく選手たちの横で、里井祥吾監督(36)は男泣きした。「選手たちには理想的な展開で進めていると言っていましたが、内心苦しくて。キャプテンを中心に最後まで諦めないで、最高の形になってくれました」。戦い続けた選手たちをねぎらった。

優勝をプレゼントしたい人がいた。石川順久部長(59)が今季限りで退任。今の3年生は入部した時に「君らの夏で退任するんや」と伝えられていた。いつもベンチで見守ってくれた存在。里井監督からも「お前らの最後の年に、絶対甲子園に連れて行け」と託されていた。

それでもチーム作りは簡単にはいかなかった。昨夏の決勝で、龍谷大平安に0-11で敗れスタートした新チーム。上田は「最初はチームがバラバラで、違う方向を向いていた。去年からのレギュラーが多くて(メンバー入りを)半分諦めたり、やる気がなくなっている選手もいた」。夏休みの期間は毎日、ベンチ前で輪になってミーティングを続けた。どれだけ暑くても多い時は約2時間。里井監督からは「先輩が残していったものを、台無しにしていいのか。良き伝統をつないでいけ」と言われたこともあった。

転機は今年の春季大会。準々決勝で乙訓に4-8で敗れた。「石川先生も部長としてベンチにいるのは今回で最後。最後に甲子園に行こう」。チームは次第にまとまり“ラストチャンス”に全力で挑んだ。決勝前日の夜には、3番に座る上田のもとに吉村仁主将(3年)から連絡が届いた。「監督を男にしよう。泣かせよう。石川部長を甲子園に連れて行きたい」。3年生で唯一主軸に座る上田。劣勢でも諦めず、一打に思いを込めた。

立命館宇治は82年に甲子園出場を果たしてから昨年まで、準優勝は7度。上田は「シルバーコレクターと言われていました」と振り返る。101回目の夏、久しぶりに金色のメダルを手にした。

◆立命館宇治 1965年(昭40)に宇治高等学校として創立された私立校。立命館と宇治学園の合併により94年から現校名。生徒数1090人(女子548人)。野球部は1968年(昭43)創部。部員数73人。甲子園は春3度、夏は3度目。主なOBは西武金子侑司、元陸上選手の千葉真子、歌手の倉木麻衣ら。所在地は宇治市広野町八軒屋谷33の1。チャールズ・フォックス校長。

▽立命館宇治OBの西武金子侑 自分も成し遂げられなかった甲子園出場を果たし、本当におめでとうございますと後輩に伝えたいです。甲子園では、思い切ってプレーしてください。