大阪桐蔭・西谷監督ら名将が考える次代の高校野球

智弁和歌山・中谷監督(左)と大阪桐蔭・西谷監督(撮影・清水貴仁)

令和初のセンバツ高校野球が3月19日に開幕する。春の第92回大会から「1人の投手は1週間で500球以内」の球数制限が導入され、大会日程に計2日の休養日が組まれた。球児を守る取り組みは100回の春、200回の夏へどうつながっていくのか。大阪桐蔭・西谷浩一監督(50)、智弁和歌山・中谷仁監督(40)、取材を通じて高校野球に携わる朝日新聞社・小俣勇貴記者、日刊スポーツ新聞社・堀まどか記者が甲子園の次代を語り合った。

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堀 高校野球が転換期を迎えています。延長タイブレークに続いて、今春から球数制限が導入されます。監督のおふたりは、どのように捉えておられますか。

西谷 選手のことを第一に考えていただいていることは非常に、現場の指導者としてはありがたいなと思います。ただあまりにも球数制限ということばかりがクローズアップされて、投げることが悪みたいになるのは違う部分もある。それぞれの子にそれぞれの数がある。個別性は大事にしていきたい。その子なりのものを見定める力が指導者により必要になってくるので、勉強も必要と思っています。

中谷 プロ時代にWBCなどの国際試合に同行させてもらって感じたのは、日本人の強さというのはやり込んでいくことで生まれていく、培っていく部分。小さな島国から世界的な大スターが生まれた背景には、頑張ってこられた先輩たちのやり方もあるのではないかなと。ただ、本当に野球に真剣に取り組んでいる若者を守るために生まれているルールなので、何がいいのかを試行錯誤し、考えながらやっていかなければならないと感じます。

小俣 球数制限ですが「1週間以内500球」が本当に適正な数字なのかは、これから検証が必要ということで3年間の猶予期間があると思うんです。啓発をどんどんして、ケガで野球をあきらめてしまう子が減るようにと常々思います。一方でトップアスリートを作るというところでは、このルールがどういうふうに出るのか、ちょっと心配な部分も確かにありますね。

堀 中谷監督は高校時代にバッテリーを組んだ高塚信幸さん(元近鉄)が2年の選抜大会で全5試合を完投後、高校日本代表でも投げる結果になって右肩を痛めた悔しい経験をされましたが(※注1)。

中谷 今も高塚とはよく話をします。ケガをしてしまった悔しさを持ってはいるんですが、彼自身が2年の春、他の投手が助けてくれていたら、とは思っていない。この部分が非常に難しい部分ではあるんですけども。本人が投げたい、俺が投げるんだという強い気持ちがあって、20年以上たちますが、今話しても後悔はない。投げ続けた自分があったからこそプロ野球選手になれた。周りが思うよりも本人が気持ちが晴れやかな部分があったので。周りの反応とは違う本人の意識、感情というのがあるんだなとすごく感じました。堀 本人が後悔していないのは重い話ですね。90年代後半の中谷監督の高校時代に比べ、猛暑の影響も問題視されています。主催者の取り組みは? 

小俣 水分補給をこまめにしたり、体を冷やせるように今年の夏からペットボトルで手のひらを冷やすことを奨励しています。観客も暑い中におられます。よりよい環境にするのは、夏に大会をやる以上、ずっと課題になると思っています。

堀 課題を乗り越えて大会は成長しています。一昨年の夏は100回の記念大会で、大阪桐蔭が2度目の甲子園春夏連覇を達成しました。

小俣 実は春の決勝も夏の決勝もぼくが担当しました。宮崎(仁斗)君(立大)、すごく勝負強い。いい打者だと思って見ていたんですが、大阪桐蔭の夏のベンチメンバーで一番背がちっちゃいんですね。

西谷 そうですね。

小俣 宮崎君が夏の決勝で試合を決める3ランを打って。パッと見、普通の高校生がこれだけ輝くんだなと。夏の北大阪大会準々決勝の履正社戦の9回に(逆転劇への)最初の四球を選んだのも宮崎君でしたし、この子がいなかったら春夏連覇はなかったんだなと。

西谷 結果論ですが、1番に置いていた藤原(恭大、ロッテ)が足を痛めたことで中軸に置き、性格的には1番ながら2番を打っていた宮崎が1番になって力が花開いた。その後ろに一番努力する青地(斗舞、同大)がいて。どちらかというと目立たない2人がチームをけん引してくれて、そこに根尾(昂、中日)らが乗っかっていったのが夏の決勝でした。堀 昨年の春夏は、新任の中谷監督が連続出場。

小俣 101回のベストゲームは3回戦の智弁和歌山と星稜(石川)の試合だと思っていました。2年生で遊撃を守っていた星稜の内山(壮真)君。今の主将ですが、あの試合後、ボールに対する執着心というか、ガッと行く感じがガラッと変わって、この子たち、また1歩上のステージに行ったのかなと思うような。あのグラウンドにいた子たちは、いろんなものを学んだゲームだったのかなと。

堀 記憶に残るキャプテンの行動もありました。

小俣 星稜の奥川(恭伸、ヤクルト)君の足がつりかけたとき、智弁和歌山の黒川(史陽、楽天)君がサプリメントを贈った。高校野球が大事にしている部分が見える試合だったんで。高校生すごいな、と思えるゲームだったと思います。

中谷 品格だったり強さだったり、そういうものを全国に誇れるチームを高嶋(仁)先生が作ってくださった。ぼくは監督になった最初に、相手も同じような思いで過ごしてきた高校球児、絶対にヤジを飛ばすな、あきらめるなとかいろんな約束事をしたんです。あの試合、足をつらせた奥川君を見て「頑張れ、奥川」とぼくも大きな声で言って、ベンチからも同じ声が出ていました。そういう雰囲気から、黒川が代表して行動したと思うんです。

堀 自然な行動だったから、智弁和歌山サイドでは話題にならなかった? 

中谷 うちからは何もコメントしてないというのは、黒川、かっこいいなと感動しました。

小俣 大阪桐蔭のコーチャーも、相手のケガへの対応が速いですよね。

中谷 多くの高校が影響を受けて、まねしたいと思う行動ですよね。

小俣 たとえば試合後、グラウンドを出たあとの姿とか大阪大会後の球場の外での振る舞いみたいなものをすごくファンは見ていると思う。こうなりたいという子は多いんだろうなと思います。

西谷 やんちゃなイメージがあったので、ちょっといいことをしたらよく見えるんじゃないですか(笑い)。たとえば中田(翔、日本ハム)とか森(友哉、西武)がいいことをしたら「いい子なんですね」と。最初からいい子なんですけどね。

堀 中田君も森君も、プロ野球の顔。そういった選手の存在も、次代の100年につながると感じます。

西谷 これだけ世の中が変わり、逆に変わってないものを探そうと言ったときに、野球少年が一番最初に抱く夢だろうと。プロ野球選手になることと甲子園に行くこと。ぼくも自分がヘタクソでも、プロ野球選手になりたい、甲子園に行きたいと思ったので。

堀 母校・報徳学園も夢の原点でしょうか。

西谷 小学6年のときに報徳学園が優勝。自転車で1時間くらいかけてグラウンドまで見に行って、あ、金村選手や。この学校に行きたいなと思いました。大阪桐蔭のグラウンドは山の上で子どもがなかなか来れないところなんですが、自転車とかでよく来てくれます。自分もそうだったと思うと、すごくうれしくて。

堀 西谷少年が見た夢を今の小学生が見ている? 

西谷 甲子園の魅力というのを発信して、今の子どもたちに変わらぬ甲子園へのあこがれを抱いてもらえるかどうか。その積み重ねが次の200年になるような気がします。監督の1人として、1人でも多くの子どもに見に来てもらえるような野球をして、高校野球すごいなと思ってもらえるように頑張りたいです。

中谷 今までいろんな方々がつないできてくれたものをつないで行くのが今、現役で高校野球に携わらせてもらっている人間の使命だと思います。かっこいい、あこがれられる智弁和歌山野球部であれと。

小俣 中谷監督が求めるかっこよさとは? 

中谷 元気よくあいさつしたり、お年寄りの手助けをしたり。それぞれの学校が特色を出し、町の人に応援してもらえるような。そしてぼくたちは、将来に夢を抱いて、高校野球にあこがれて入ってくる子どもたちの夢を高校3年間でつなぐというか、可能性を広げていける3年間にする。子どもたちと向き合い一緒に汗を流す、それを繰り返し続けていくことを100年先まで続ける。大きな仕事ではなく、今与えられた仕事をしていく。そこに全力をつくしたいと思います。

 

※注1 智弁和歌山が準優勝した96年選抜大会で2年生エース高塚は、延長13回完投を含む全5試合を完投。複数投手で臨んでいたが、故障者が出て1人で投げる結果に。2回戦から決勝まで4日連投となった。センバツ後に高校日本代表でアジア選手権に出場後、右肩痛を発症。投球フォームにも影響が出て、本来の投球を取り戻せなかった。

◆西谷浩一(にしたに・こういち)1969年(昭44)9月12日、兵庫・宝塚市生まれ。報徳学園(兵庫)から関大へ進み、3年時に全日本大学選手権準優勝。4年時は主将。93年から大阪桐蔭コーチを務め、98年11月から監督。いったんコーチに戻り、04年に監督に復帰。08年夏に浅村(西武)らと全国制覇。12年は藤浪(阪神)、森(西武)ら、18年は根尾(中日)、藤原(ロッテ)らと甲子園春夏連覇。春夏7度甲子園で優勝。現役時代は捕手。社会科教諭。

◆中谷仁(なかたに・じん)1979年(昭54)5月5日、和歌山県生まれ。智弁和歌山2年時の96年選抜大会で準優勝、97年は主将を務め、同校初の夏の甲子園優勝を果たした。同年にドラフト1位で阪神入団。楽天、巨人でもプレー。通算111試合に出場し、4本塁打、17打点。17年春に智弁和歌山のコーチになり、18年8月から監督。19年春夏甲子園に出場し、春は8強、夏は3回戦進出。現役時代は捕手。

◆小俣勇貴(おまた・ゆうき)1987年(昭62)3月8日、山梨県生まれ。都留(山梨)から早大に進学し、硬式野球部に所属。同期は阪神上本。09年に朝日新聞社に入社。12年からスポーツ部で西武、楽天を担当。17年から大阪で高校野球取材を続けている。

◆堀まどか(ほり・まどか)大阪府生まれ。大手前(大阪)から関学大を経て日刊スポーツ入社。プロ野球、高校野球を主に担当し、3年間映画、宝塚歌劇を担当。智弁和歌山の97年夏優勝、大阪桐蔭の12年甲子園春夏連覇などを取材。現在は野球全般を取材。