「シャー!」から14年 鹿児島工・今吉さんは今…

06年8月、福知山成美戦の7回、代打に立ち叫ぶ鹿児島工・今吉

<あの球児は今>

類いまれなキャラクターで甲子園を沸かせた球児がいた。06年夏、初出場でベスト4まで勝ち上がった鹿児島工の今吉晃一さん(31)は、県大会から甲子園まで全て代打で10打数7安打、打率7割を残した。ずんぐりした体に、つるつる頭。打席で構えるたびに「シャー!」とほえた元気印は、2児の父となり、岡山の製鉄所で働いている。

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今吉さんは鉄鋼マンになっていた。「炉前と言います。鉄を作る最初の工程で鉄鉱石とコークスが反応し、ドロドロの鉄がたまっていく。それを高炉から取り出す仕事です」。高校卒業後、岡山の「JFEスチール株式会社 西日本製鉄所(倉敷地区)」に就職。14年目を迎えた。鉄の温度は1500度にも上る。夏場は汗びっしょりだ。3交代で、夜勤も早朝出勤もある。「コロナで、どこも大変。仕事があるのはありがたい」と元気は変わらない。

06年夏。甲子園初出場の鹿児島工は、あれよあれよと勝ち上がった。今吉さんはムードメーカー兼代打の切り札として活躍した。「シャー!」。打席で構えるたび、腹の底から叫び、ファンを引きつけた。ネクストに姿が見えただけで、スタンドから拍手が起きた。初戦の2回戦、高知商戦で二塁打。準々決勝の福知山成美(京都)戦では、1点を追う7回先頭で遊撃内野安打。同点の足がかりをつくった。

4試合、計4打席で一番印象に残るのは、準決勝の早実(西東京)戦、斎藤佑樹(現日本ハム)との対戦だという。0-4の6回2死二塁で空振り三振に倒れた。「一瞬、悔しさが込み上げたんですけど…達成感がありました。ベンチに戻ると、メンバーがみんな笑っている。スタンドのお客さんも。すがすがしい気持ちでした」。カウント3-0から「四球じゃ流れは変わらない」と振りにいき、ファウル。最後は145キロインハイを強振した。「もともと、超高校級と戦えるレベルではありません。やりきった感というか、もう、ええやろうって。もちろん、試合は終わってませんでしたけどね」。野球は高校までと決めていた。

鹿児島に戻ると時の人。「御利益がある」と、行く先々で頭を触られた。高校生活を「一生分の運、使い果たしたぐらい楽しかった。つらいこともあったけど、全てがつながり甲子園に行けた」と振り返る。今は草野球からも遠ざかるが、小1の長男とはボール遊びをする。「幸せですね。子どもたちを大きく育てて、楽しい思いをさせてあげたい」と願う。【古川真弥】

◆今吉晃一(いまよし・こういち)1988年(昭63)10月12日生まれ、鹿児島市出身。瀬々串小3年からスポーツ少年団で野球を始め、投手に。喜入中で捕手になり、鹿児島工でも捕手。現役時は165センチ、89キロ。右投げ右打ち。

<取材後記>

当時、記者になりたての私は早実の担当だったが、秋の国体は鹿児島工も取材した。デスクに今吉さんのことを報告すると「シャー君だな」と言われたのを思い出す。今回、縁あって今吉さんを取材した。甲子園の一番の思い出を聞くと「旅館ですね」と返ってきた。試合の日、みんなで「熱闘甲子園」で盛り上がった。3回戦の香川西戦はエース榎下(元日本ハム)が本塁打。しかし…「その辺はサラッと流して、僕のどん詰まりのショートゴロが取り上げられた。それで榎下から何か言われた。パッと思い浮かぶのは、そんなことですね」と懐かしそうに話してくれた。ケンカもしたが、仲のいいチームだった。「楽しかったですね。甲子園が決まった時点でプレッシャーから解放されました。半分もう旅行気分」と笑った。初出場で4強。飾らない明るさが、強さの秘密だったのかもしれない。