中標津「ワンチーム」でつかんだ初甲子園/1990年

90年7月26日、北北海道大会で優勝し甲子園出場を決めスタンドにあいさつする中標津の選手たち

<ザ・道キュメンタリー>

30年前の夏、牛の頭数が人口を上回る道東の町に、注目が集まった。1990年、中標津が史上最東端からの甲子園切符をつかんだ。エース左腕、武田勉(3年)の好投と粘り強い打線で、釧根地区予選から3度のサヨナラ勝ちを重ね北北海道大会初優勝。甲子園初戦の星林(和歌山)戦でも延長10回の末、4-5の接戦を演じた。(敬称略)

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カクテル光線を浴び、道東の道立校「NAKAKO」が躍動した。90年8月13日、午後4時49分開始の星林との一戦は、ナイターに突入した。4-4で迎えた延長10回表、中標津がチャンスをつくる。先頭の7番森秀樹二塁手(3年)がセーフティーバントで出塁し二盗。無死二塁だ。8番木内祥雄一塁手(3年)の打球は三遊間へ。誰もが「抜けた」と思った瞬間、イレギュラー。二塁走者の森が避けようとジャンプしたが、左膝に当たり守備妨害でアウトとなった。無得点に終わり、その裏、無念のサヨナラ負けを喫した。明暗を分けるシーンとなった。

主将で捕手だった篠田雄一(48=徳島・徳島応神中教員)は、ベンチに戻ってきた森を責めることはなかった。むしろ、たたえた。

篠田 積極的でいいスタートだったし「ナイス走塁」と伝えた。1歩遅れていたら三塁で刺されていたかもしれなかった。勝ち負けを左右したプレーだったかもしれないが、みんな最後まで前向きに、全力でやり切ることができた。

前年の89年秋も90年春も地区敗退のチームが、部員19人で聖地に乗り込み堂々と戦った。3点差を追いつく粘りと、あきらめない姿勢に、2万8000人の観衆から大きな拍手が送られた。

公立校の限られた環境下で、ひたむきにやってきた自負が、強みだった。冬場は打撃マシンがある倉庫まで往復6キロ走り、バッテリーは全体練習後にさらに13キロのランニング。当時エースの武田勉(47=日本製鉄本社勤務)は、3月から山本武彦監督(62)とマンツーマンで毎朝、早朝5キロのランニングもしていた。

武田 春休みに新日鉄室蘭の練習に参加したら、きつくてついていけなかった。体力がないからと、走り込んだ。でも、春の地区3回戦で9四球を与えて釧路工に負けて(5-9)。みんなの前で監督に、こっぴどく説教された。自分本位の投球だと。あとにも先にも、あんなに怒られたことはなかった。翌朝、ランニングのために監督を迎えにいくが気まずかった。悔しかったし、あれで精神的に一皮むけた。迎えた夏初戦の根室戦は無四球で13奪三振完封。反省も生きたし、いいスタートが切れた。

武田-篠田のバッテリーを中心に2年ぶり2度目の北北海道大会進出。2戦目の準々決勝帯広南商戦、準決勝滝川西戦と、連続でサヨナラ勝ちする。

武田 帯広南商戦はすごく暑くて(会場の帯広は30・9度)。9回に3点を追いつかれ、バテバテ。自分はもう駄目だと思ったら、みんなに助けられた。チームに勢いが出てきた。

帯広南商戦で5番山口雅章中堅手がサヨナラ2ラン、滝川西戦では9番尾崎英之右翼手(ともに2年)がサヨナラ打。安定感あるバッテリーを切れ目のない打線が援護した。

篠田 山口や尾崎の2年生も伸び伸びしてきて、ラグビーで言う「ワンチーム」のような感じになった。

決勝は、その秋ドラフトでヤクルトから6位指名される大会屈指の左腕、伊林厚志擁する旭川龍谷に4-0で完勝し、聖地への切符をつかんだ。

武田は甲子園で引退するはずが、日本高校選抜にも選ばれ新日鉄室蘭入り。30歳を過ぎるまで社会人選手として野球を続けた。

あれから30年たった今夏、コロナ禍で全国選手権は中止になり、球児たちは独自大会で特別な夏を戦う。武田は「一生懸命やってきたことは必ず人生の根幹になる」、篠田は「努力してきたことにウソはない」とエールを送る。試練を乗り越えた先にこそ、新たな光は差し込む。【永野高輔】

◆最端の甲子園出場校 90年夏に出場した中標津が東経144度58分で、67年夏、70年春出場の網走南ケ丘(東経144度16分)を抜き最東端となった。最東端勝利は69年春に1勝した釧路第一。最北端出場と勝利は、14年センバツ21世枠で出場し1勝を挙げた遠軽で北緯44度3分。最西端、最南端は戦前の台湾などを除くと06年春出場の沖縄・八重山商工で北緯24度20分、東経124度10分。こちらは初出場で2勝した。

◆90年夏の中標津VTR 釧根地区初戦(2回戦)はエース武田が13奪三振、2-0で根室に完勝。3回戦は2番手の遠藤賢一(3年)が1安打12奪三振で完封し、厚岸潮見を4-0で下した。地区代表決定戦は釧路北陽に9回サヨナラ勝ちし、武田は初戦に続き2試合連続13奪三振。北大会は北見柏陽、帯広南商、滝川西と撃破。決勝の旭川龍谷戦では、武田が4安打完封で初優勝に導く。甲子園の星林戦は1-4とリードされるも7回に1点、8回に2点返し同点。延長10回サヨナラ負け(4-5)。武田は北大会から甲子園まで5試合連続完投、星林戦は151球、10奪三振と力投した。中標津の甲子園出場は春夏通じ、この1度だけ。