7月10日に初戦突破を果たした西東京・明大中野八王子は、18日に昨夏王者の東海大菅生と対戦する。
明大中野八王子は、2人の3年生がチームのサポート役に徹している。獅々鹿(ししか)廉汰と町田隼希。2人とも、かつては選手だった。
先に転身したのは、元一塁手の獅々鹿。1年秋の練習試合で右肩を脱臼し、手術を余儀なくされた。懸命にリハビリに励み、2年秋にはテニスボールを投げられるまでに回復した。2年生の10月、硬球を握り、久々に強く腕を振った。
「恐る恐る投げたんですけど…」
ボールを投げた瞬間、その場にうずくまった。復帰後の初球で、再び右肩を脱臼。まさかと思った。
同年12月に、右肩の骨を削り、体内の骨でつなぎ合わせる手術を施した。選手の道は絶たれたが、「続けてきた野球を諦めたくない」と思った。
そこで、今年1月からサポート役へ転身。肩にボルトを埋め込みながらも、チームを支える道を選んだ。
もう1人のサポート役の町田は、外野手としてメンバー入りを狙っていた。だが、今年3月の実戦練習で左手中指を剥離骨折。春季大会もメンバー外となった。
「僕は以前からメンバー入りに1度も絡んだことがなくて。どうすればチームにとって存在価値があるのかなって、ずっと考えていました」
4月のリハビリ中、選手を続けるのは厳しいと感じ始めていた。
そのことをコーチだけでなく、獅々鹿にも相談することにした。返ってきたのは優しい言葉だった。
「最後まであがくのか、サポート役としてチームに貢献するのか、自分がやりたいようにやっていいと思うよ」
獅々鹿はノックの補助をしたり、試合後にチームへアドバイスを送ったりしていた。2度の手術を経てもなお、自ら存在価値を生み出していた。
先にサポートへ回った仲間の存在もあり、町田は5月の連休明けに選手から身を引くと決めた。
プレーから離れると、チームが客観的に見えるようになった。選手が結果ばかりにとらわれていること。それが焦りにつながっていること。もっと大切なことがあるのではないか。そう思った。
5月中旬の練習後のミーティング。町田はサポート役へ転身することに加え、1つの思いを伝えた。「野球ができるのは当たり前ではない」。そして、こう続けた。
「野球が好きでここに来ているのだから、まずは野球を楽しんでほしい」
保坂修也主将(3年)は、町田の言葉にハッとさせられたという。「普段は表立って何かを言うタイプではない分、心に響くものがあった」。率先してノックを打ったり、道具を修繕したりする2人に、「自分たちが野球に集中できるように、あえて裏方に徹してくれている」と感謝を口にする。
10日の初戦。2人の姿は三塁側スタンドにあった。
大会が始まる2週間前、「僕たちは選手に勝ちを託しているだけです」と笑って謙遜していた獅々鹿は、塩飴を配って回っていた。うだるような暑さの中、応援に駆けつけてくれた方々への配慮だ。勝利を祈りながらも、いつものように、自分にできることに尽力していた。
スタンドの思いに応えるように、ナインは奮闘。2度追いつかれながら、8回裏に2点を勝ち越し、6ー4で初戦を制した。勝利の瞬間、スクールカラーの紫色に染まったスタンドは大きく揺れた。
泥だらけの仲間たちに目をやりながら、町田は「できることならですけど」と切り出した。
「結果を残してメンバー争いに絡んで、試合に出ることも楽しかったかもしれないです」
正直な思いが声になった。少し間が空いて「ただ」と続ける。
「今の自分にも満足しています。後ろめたさはないです」
球場の片隅で、その声は確かに響いた。
選手から身を引くことで、価値が失われるわけではない。ほんの少し、輝く場所が変わるだけだ。【藤塚大輔】