国士舘・村上紘輝「WPW症候群」で選手断念もマネジャーとして亡き父と同じ舞台目指す/西東京

スコアブックを片手にメガホンで選手へ助言を送る国士舘・村上マネジャー(撮影・藤塚大輔)

<高校野球西東京大会:国士舘6-5日大二>◇17日◇3回戦◇スリーボンドスタジアム八王子

国士舘は3回表1-0から再開された日大二との継続試合を、1点差で逃げ切った。同点に追いつかれても、追い上げられても、途絶えることはなかったベンチからのゲキ。入学当初は選手だった村上紘輝マネジャー(3年)は「夏の大会前にもっと声を出そうと伝えました」と明かした。

高校1年の秋。村上は二塁手で懸命に練習に励んでいたが、病院の精密検査で「WPW症候群」と診断された。脈拍が安定せず、めまいや吐き気に襲われた。選手は断念せざるを得なかった。それならば…。マネジャーとして甲子園を目指す道を選んだ。

父親の背中を追いかけたかったからだった。幼い頃、父恵一さんとよくキャッチボールをした。その横で、母真弓さんが教えてくれた。「お父さんは甲子園に行ったんだよ」。ただただ照れ笑いする父。そして5歳の頃、恵一さんは35歳の若さでがんで亡くなった。突然の別れ。「人って死ぬんだ」。ぼんやりとそう思った。

甲子園の話を父の口から聞くことはなかったが、亡くなってから数年後、背番号12を背負い、甲子園で伝令に走る恵一さんの写真を目にした。福岡工大付(現福岡工大城東)のメンバーとして、92年センバツに出場した際のものだった。その時から、「僕も甲子園に行きたい」という思いが、常に胸にある。

選手として目指すことが出来なくなっても、心が折れなかったのは、仲間がいたから。「みんな“お前を絶対甲子園に連れて行く”と励ましてくれた」。だから村上は、21人目のベンチ入りメンバーとして、どんな時もナインを鼓舞する。亡き父が立った舞台を目指して-。【藤塚大輔】

◆WPW(ウォルフ・パーキンソン・ホワイト)症候群 不整脈の一種で、先天的に心臓の正常な伝導路以外に副伝導路(ケント束)が存在し、そのために不整脈が起こるもの。突然脈が速くなり(頻拍)、突然停止する。症状が長く続くと血圧が低下してふらついたり、失神を起こすこともあり、心不全の状態になることもある。